老人ホームの実態が赤裸々に暴かれている一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2094)】
ニホンズイセンが花を咲かせています。葉を全て落としたイチョウが空に向かってそそり立っています。
閑話休題、『もはや老人はいらない!――長生きが喜ばれない介護社会の大問題』(小嶋勝利著、ビジネス社)では、老人ホームに精通している著者により、老人ホームの実態が、そこに潜む恐ろしい闇も含めて、赤裸々に暴かれています。
しかし、本書が単なる告発本と一線を画しているのは、著者が医療と介護は別物だという認識を根底に置いている点です。
「私は、医療と介護は真逆であると思っています。医療の場合、病院に入院する多くの患者は当然、退院日をあらかじめ決めて入院するのが普通です。多くの患者やその家族は、担当医に対し『先生、いつ頃、退院することができますか?』『入院はどのくらいの期間になりますか?』と必ず確認するはずです。それは、どのくらいの期間で病気や怪我が治るのかの見込みを立てて次の準備をしなければならないからです。そこには、費用面を把握したいという気持ちもあると思います。・・・しかし老人ホームに入居する多くの高齢者やその家族は、入居する前にどのくらいで退院、つまり自宅に戻って来られるのかとは考えません。当然、死ぬまで老人ホームに入居しているものと考えています。『退院』という発想はないのです。もっと言うと『治す』という概念もありません」。
「介護業界でこの(医療機関による看護師養成の)ような取り組みをしているところはごく少数派の企業だけです。介護のプロを養成している教育機関は医療に比べるときわめて少ないということなのです。介護のプロが育つ土壌がないにもかかわらず、介護保険制度は医療保険制度を習ってプロを求めたがゆえに自己矛盾が起こり、結果、介護職員のなり手がいなくなったという構図です。ちなみに現在、国は外国人による技能実習生に積極的に取り組んでいますが、私はナンセンスだと思っています」。介護職員が不足している真の理由が分かり、目がら鱗が落ちました。
「現代社会では、医療と介護の連携が大流行りです。多くの医療機関が、医療の後工程にある介護に注目し、介護事業に取り組んでいます。経済的な視点で考えた場合、医療で獲得した高齢者の患者に病気治療後も引き続きかかわり要介護状態になった場合、利用者としてかかわることで元は病院の患者だった方を今度は介護事業で囲い込んでいく、ということだと思います。最近では、この逆のパターンも多くなってきています。老人ホームなどで高齢者を囲い込み、その高齢者の具合が悪くなった場合、系列の病院の患者にしていくケースです。どちらのケースも経済的な観点から見れば、非常に合理的、非常に経済的な考え方なのですが、私には何となく味気ない気がしています。医療と介護とは、まったく違う別モノだからです。『医療は病院で、介護は専門の介護施設で』ということが重要なのです」。
「私の経験では、多くの高齢者は『自分に来年は来ない』ということに対し、嫌悪感を持ってはいません。逆に、だからこそ、今、自分は何をすべきなのか? という前向きな気持ちになっているはずです。さらに言うと、この前向きな気持ちがなくなったら、そろそろ人生に幕を下ろす時が近づいてきた、という理解なのだと思います。死ぬことを真剣に考えると、もっと真剣に生きていかなければならないと人は考えます。実に興味深い心理です。私も最近、自分の死について考えることが多くなりました。しかし、不思議とその結論はいつも、『残り少ない時間を無駄には使えない。もう、この時間は戻ってこない。だから、時間は無駄にしてはいけないのだ』ということになります。しかしそう思いながら、その傍らではだらだらと時間を無駄に使っている自分がいるので、いつも自己嫌悪にさいなまれています」。よく死ぬことは、よく生きることなのですね。
「高齢者との対峙の中で一番重要なことは、持ち時間が少ない人を相手にしていることを常に忘れず、キーワードは『今すぐにやる』ということです。ちんたらしていると、その矢先に死んでしまいます。居なくなります。これが高齢者介護の常識です。だから『待ってください』はNGなのです」。
高齢者の私には、いろいろと考えさせられた一冊です。