不快な感情をコントロールする一番いい方法とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2163)】
サトザクラ(写真1、2)、コヒガン(写真3~5)、ヨコハマヒザクラ(写真6~8)、ヨウコウ(写真9、10)、オオカンザクラ(写真11~13)、カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真14、15)、ハナモモ(写真16~18)、ベニバスモモ(写真19、20)が咲き競っています。因みに、本日の歩数は16,316でした。
閑話休題、『生きることに疲れたあなたが一番にしなければならないこと――加藤諦三の新・人間関係論』(加藤諦三著、早稲田大学出版部・早稲田新書)で著者が言いたいことを、私なりに整理すると、2つにまとめることができます。
1つは、その人間の心の持ち方は、その人間の子供時代以降の成長体験によって決定されるということ。もう1つは、不快な感情をコントロールすることによって精神的幸福が得られるということ。
正直言って、私は、第1の考え方には賛成できません。
しかし、第2の考え方には大賛成です。その方法論を、著者はこう説明しています。「私たちがすべきことは、悩みを修正することで、消すことではない。私たちの感情を消すことはできないし、正しい態度ではない。『感情は囚われに基づいている』のだから、囚われから解放されることです。アメリカの心理学者シーベリーが『不幸を受け入れようとする気になると、なにをしたらいちばん良いかが突然見えてくる』と言っている。その通りです。だから生きることに疲れたあなたは『私の人生はつらい』と認めることです。これができれば先は明るい。『なんで私だけがつらいのだ』と不満になれば、よりつらい人生になる。シーベリーは『機械が故障し、修理が必要な場合、技術者の全神経は、どうやって機械を正常に戻し、具合良く動くようにするかに集中します』と述べています」。
私事に亘るが、若い頃の私は、復讐心を発条(ばね)にして頑張ってきたようなところがありました。しかし、年齢を重ねた現在は、一度切りの人生なのだから、復讐する相手のことを考えたり、その人間にどう復讐するかを考えたりすることに時間を費やすのは、時間の無駄使いだ――と思えるようになりました。