親子関係の難しさを考えさせられる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2330)】
我が家の庭は、庭師(女房)が殺虫剤も除草剤も使わないため、昆虫天国です。ウリハムシ(写真1)、クロウリハムシ(写真2、3)が我が物顔に歩き回り、飛び回っています。
閑話休題、『工学部ヒラノ教授の傘寿でも徘徊老人日記』(今野浩著、青土社)の最終章「大いなる宿題」には、いろいろと考えさせられました。
81歳の誕生日が目の前に迫ってきたヒラノ教授こと著者の、子供たちとの関係が赤裸々に語られているからです。
「『仲が悪い父と娘の合作』で思い出すのは、ジェーン・フォンダがプロデュースし、ヘンリーとジェーン親娘が共演した『黄昏』という映画である。病死したと聞かされていた母親が、実は父親の度重なる浮気を苦にして自殺したことを知って以来、娘は父を激しく憎悪した。父を許すまでには、二〇年の歳月が必要だったという。和解から十数年後、娘は『黄昏』をプロデュースして、父親に初めてのアカデミー主演男優賞を齎した。この時父は重い病を患っていたため、授賞式に出席することは出来なかった。代わりにオスカーを受け取ったのは、主演女優賞を二回受賞している娘だった。仲が悪かった親子が作った映画は、これ以外にもあるかもしれない。しかし私は、仲が悪い父と娘が合作した小説というものを知らない」。
「(1967年生まれの)娘(裕子)は、父親が弟を優遇するのを見て嫉妬した。・・・この結果、母親を兄に取られたと思っていた娘は、父親を弟に取られたと思ったのである。しかし私は、娘が父親を恨んでいることや、弟を嫉妬していることに気が付かなかった。気が付かなかった原因は、私の子供時代の家庭環境にあった。・・・母は優秀な(三つ年上の)兄を溺愛した。家事を負担しないで、いつも本を読んでいる兄。アパートの階段掃除、草むしり、買い物などでこき使われる弟(著者)。・・・父は(著者の)弟だけを溺愛したのである、・・・このようなわけで私は、母を兄に取られ父を弟に取られても、弟に嫉妬しなかった。だから私が次男を可愛がっても、娘が九つ違いの弟を嫉妬するとは思わなかったのである。娘と私の関係がこじれた最大の原因はこれである」。
一橋大学商学部を卒業後、日本生命に入社した娘は、順風満帆の生活を送り、将来の取締役を目指していたが、32歳の時、祖母と母が患ったのと同じ難病・脊髄小脳変性症を発症していることが判明します。自分の運命を呪い、夫と離婚した娘は、病気が徐々に進行し、49歳で死去します。
「ケアマネさんからA4で四〇枚ほどの遺稿が送られてきたのは、葬儀を終えてしばらくしたころである。・・・私は、長い間娘の原稿を読む気になれなかった。娘の(離婚した)夫から投げつけられた(娘が私を憎んでいるという)言葉が、あまりにも強烈だったからである。三年後、私はコロナ禍の中で娘の原稿を読んだ。・・・大半は私が想像していたことと合致していたが、思い違いも含まれていた」。
著者は『工学部ヒラノ教授と娘の物語』の原稿を書き進めてきたが、間もなく脱稿できそうなところまできています。「われわれ父娘は、ヘンリー・フォンダとジェーン・フォンダのような有名人ではないから、出版を引受けてくれる本屋さんが見つかる保証はない。しかしこの本の完成を待っているケアマネさんと、最後まで娘を支援してくださった一橋時代の友人諸氏に渡すことが出来れば、私の責任は果たされることになる」と結ばれています。
親子関係の難しさが生々しく描かれています。