榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

モテ自慢・知性自慢の清少納言、自慢したくても、ぐっと我慢の紫式部・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2548)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年4月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2548)

シバザクラ(写真1~12)、ムスカリ(写真12)、オオイヌノフグリ(写真13)、ホトケノザ(写真14)、ローズマリー(写真15)が咲いています。

閑話休題、『平安ガールフレンズ』(酒井順子著、角川文庫)で、とりわけ興味深いのは、清少納言、紫式部を論じた部分です。

●清少納言――
「和歌を詠むことがあまりにも当たり前であったからこそ、清少納言のひねりの効いた応対は、世の男性達からおおいに賞賛されました。そしてこの、『(藤原)行成さまから褒められちゃった!』『帝からも!』という、彼女の『自慢せずにはいられない』という性分を、私はニヤニヤと見守っているのです」。

「和歌の家に生まれ、和歌に対するプレッシャーを感じていた清少納言であったからこそ生み出すことができた、『随筆』というジャンルと、『枕草子』という名随筆」。

「自分が美人ではなかったからこそ不細工を嫌い、自分が一流のお嬢様でなかったからこそ、(下働きをする)下衆女を嫌う清少納言。そんな彼女は、今の世の中の基準からすれば、善人ではないのかもしれません。しかし私は、だからこそ彼女が好きなのです」。

「彼女はきっと、行成であれ(藤原)斉信であれ、いくら素敵な殿方であれ、一度『して』しまったならば必ずアラが見えてくることを、予見していたのでしょう。『なんだ、この程度の人・・・』となってしまうのも嫌だったし、そうでなくとも、自分が関係を持っている相手を手放しで褒めまくるというのは、やはりダサい。であるなら、関は開けずにおいた方が、夢を見続けられるではないか・・・、と。しかし関は開けずとも、『私、行成様とか斉信様からモテちゃった!』と書かずにいられないのが、清少納言らしいところです。モテ自慢は、往々にして彼女の知性自慢とも重なっています。・・・『枕草子』は、そんな彼女のリア充アピールの舞台でした。自身の知性やウィット、そしてモテっぷりを披露し、『いいね!』と言ってもらえることに彼女は無上の快感を見出しており、その快感は貴公子と『する』ことと天秤にかけてみても、手放したくないものだった」。現在だったら、清少納言はフェイスブックで厖大なフォロワーを獲得したことでしょう。

●紫式部――
「<清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり>と始まる(『紫式部日記』の)文章を読むと、『ああ、本当に嫌いだったんだな・・・』としみじみ理解できます。・・・この頃の女性の常として、二人とも生没年ははっきりしませんが、紫式部は、清少納言よりも少し年下です。おそらく紫式部は、『枕草子』を読んでいたことでしょう。『枕草子』において、漢文の知識をひけらかしたり、モテ自慢をしたりする清少納言のやり方は、どちらかというと内にこもるタイプの紫式部とは、全く相いれないもの。だからこそ<したり顔にいみじう侍りける人>との評価になるのです」。

「自慢したくても、ぐっと我慢。言いたいことも、そのままは言わない。表面はあくまでおとなしいけれど、激しい思いを内に秘めるタイプである紫式部は、だからこそあれだけ長大な物語を書くことができたのだと思います。感情の出口に、自らが置いた重い石。そのせいで彼女の心の中には、本当はあのようなことをしたい、このように言いたい・・・という願望が、うごめいていたはずなのです。美男の貴公子と、あんなことやこんなことがしたい。思う存分。嫉妬したい。知性だって、自慢したい。清少納言とはちがって、和歌だって詠めるのよ。・・・胸の中で熟成の末、とろみを帯びたそのような願望を物語にのせ、解き放ったのが『源氏物語』なのだと、私は思います。彼女のねっとり濃厚な性質は、この国の女性の『女らしさ』の原型なのかもしれず、親友にはなれないかもしれないけれど、実に興味深い存在なのでした」。

「これはすなわち、『時の権力者である(藤原)道長様からもモテてしまった私』についての記述です。『源氏の物語』は中宮様も読んでいらしたのよ、というさりげないアピールから始まり、道長様が自分のところに忍んでいらした、ということも暴露している。その時の紫式部は、扉を叩く音を無視したと記していますが、『紫式部は、道長と<して>いたであろう』という説もあります。紫式部は道長のお手つきであり、光源氏のモデルの一人が道長なのでは・・・? と。確かに、道長から迫られて、断るのは難しそう。また、時を得た人である道長と『して』みるのはどんなものなのかしら・・・という好奇心も、湧きましょう。しかし紫式部は、モテたことだけをアピールしつつ、『してません』との態度です」。因みに、私は、紫式部は道長と関係を持ったという説に与しています。