榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紫式部は悩み多き人で、当時の仏教に不信感を抱いていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3083)】

【読書の森 2023年9月27日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3083)

クリ(写真1、2)、カキ(写真3、4)、シシユズ(オニユズ。写真5、6)、ザクロ(写真7、8)、ゴーヤー(写真9、10)、ヤブサンザシ(写真11)が実を付けています。我が家の庭では、シロバナマンジュシャゲに続いてヒガンバナが咲き始めました(写真13)。因みに、本日の歩数は11,488でした。

閑話休題、『紫式部は誰か』(廣田収著、武蔵野書院)では、注目すべき著者独自の紫式部論が展開されています。その主張は、3つにまとめることができます。

第1は、紫式部は悩み多き人であった。

「時の権勢家であった藤原道長から出仕を求められ、あまり気が進まないまま参内します。勤めに出るのに、なぜ嫌々だったことが分かるのかと申しますと、日記や家集からうかがえるのですが、その後、ちょっと出仕してはすぐ里に下るということを繰り返していたからです。つまり、紫式部は女房として宮仕えすることになかなか馴染めなかったわけですが、注目すべきことは、『紫式部日記』の文章の中に出てくる<なのめなる身ならましかば>(人並みの運命の身の程であったらよかったのに)とか、<思ふこと>(考え悩むこと)があるとか、<嘆かしきこと>が多いと書いていることです。・・・彼女は負い目をもっていて、どうも実際は相当不愉快な目にあったりして、宮廷社会になじめないばかりか、もって生まれた『身分や階層の低さ』や『不幸続きの人生』ゆえに、拙い運命を背負っていると強く意識したらしいのです」。

「紫式部は、実に悲観的な考え方をする人です。それだけではありません。当時の常識からみますと、常識的な発想にとらわれない人で、言葉は悪いですが、相当『ひねくれた』考え方をする『へそ曲がり』とみえる人で、しかしながら静かに自己主張する人だったということもできます。ただ、誰もが感じることを深く描き、表現することができた人だったといえます。なぜそんなことが言えるのかと申しますと、『紫式部日記』でも『紫式部集』でも、ずっと世の中は理不尽だ、自分はどうしてこんなに不幸なのだろう、と呟いているからです。『源氏物語』でも例えば、登場人物では、特に晩年の紫上、宇治十帖における大君、浮舟たちは、自分のもって生まれた運命、当時の言葉で申しますと、拙き『宿世』をずっと嘆いているからです」。

「(『紫式部集』では)どうしても、生まれついた境遇が強くて揺らぐことはない。私の悩む心なんて、どんな境遇なら満足できるのかと、ここには出口の見えない『堂々巡り』が見えます」。

第2は、紫式部は当時の仏教に不信感を抱いていた。

「(死が近いのに)出家が許されず来世が約束されていない、行く方知れぬ紫上の身の上の不安が表現されています。そのような深い認識こそ『源氏物語』――紫式部の発見した世界です」。

「(『往生要集』を書き、地獄・極楽を明確に示した)源信という僧が、紫式部に影響を与えた、時代の先端を行く救済思想の持ち主でした。『源氏物難』宇治十兆の後半で、入水に失敗し行き倒れている浮舟を救い出す僧が、この源信をモデルとした横川僧都として設定されています。『源氏物難』の末尾における、この人物配置は、きわめて意図的です。つまり、時代の先端を行く僧が、この浮舟を救えるかという疑問が示されているといえます。・・・(この世の栄華をそのまま来世にも持ち越そうといった)極楽往生の思想は、光源氏のものであったとしても、紫式部にとっては、意味のないことだと思います。紫式部は、この現世に絶望していたからです。・・・『源氏物語』の最後で、紫式部は、浮舟の救いの可能性を、源信を彷彿とさせる横川僧都の教えに賭けた、と私はみています。しかしながら、結局、紫式部は横川僧都の体現する浄土教的な仏教では、大君も浮舟も救えない、とひそかに確信したと思います。極端に申しますと、紫式部は、当時の仏教を批判していると考えられます」。

第3は、『源氏物語』は、藤原道長の要請を受けて、中宮・彰子に対する中宮教育のために書かれ始めた。「中宮教育」は「帝王教育」に準えた言葉です。

「ところが、物語の真ん中、すなわち若菜巻以降になると、主人公は光源氏だけでなく、紫上・宇治大君・浮舟へと、女君たちに焦点が当てられて行きます。紫式部がもうひとつ『本当に』書きたかったことは、この女君たちの系譜だった、と私は思います。当時の仏教の教えである『宿世』、すなわち因果の思想に従うかぎり、女君たちはみずから『堂々巡り』の思考に縛られて行きます」。

3つの主張からは逸れるが、興味深いことが記されています。「(紫式部は)明らかに『伊勢物語』と『竹取物語』を評価しています」。この2つが紫式部の愛読書だったというのです。

本書は、紫式部、『源氏物語』、『紫式部日記』、『紫式部集』に関心を持つ人にとっては、必読の一冊と言えるでしょう。