才女・紫式部にも夫との性生活に不満を抱く面があったとは!・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3181)】
散歩中のオナガガモ(写真1~6)一行に出くわしました。雄(写真3、4)が3羽、雌(写真5、6)が4羽のグループです。ニホンズイセン(写真7)が咲いています。ナンテン(写真8)が実を付けています。
閑話休題、『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書)の著者が言いたいことは、「紫式部は(藤原)道長の援助と後援がなければ『源氏物語』も『紫式部日記』も書けなかったのであるし、道長は紫式部の『源氏物語』執筆がなければ一条天皇を中宮彰子の許に引き留められなかったのである。道長家の栄華も、紫式部と『源氏物語』の賜物である」に尽きます。
この主張が、古記録などの一次史料を読み解くことで具体的に展開されていきます。
個人的に、とりわけ興味深いのは、●藤原宣孝との結婚生活、●『源氏物語』に描かれた王権と宮廷政治、●道長との贈答歌――の3つです。
●藤原宣孝との結婚生活
「宣孝とは20歳前後の年齢差があったが、これは当時としては。女性が嫡妻でない場合は、あり得ない話ではなかった。宣孝は紫式部と同居しておらず、いずれかの旧妻(嫡妻)の許で暮らしているので、紫式部は嫡妻の地位を手に入れたわけではなかった。・・・いつともしれぬ夫の訪れを待つ女性の生活(を描いた文学作品)を、『当時は妻問婚だった』などと平安貴族一般の結婚形態と勘違いすることは、厳に慎むべきであろう」。
「『紫式部集』の後半には、宣孝の冷淡や心変わりを嘆き、夜離(よが)れをなじる歌もいくつか収められている」。
「紫式部は結婚後わずか2年半ほどで寡婦となってしまったのである。『紫式部日記』には、後の述懐として、『夫を亡くして将来の頼みもないのは、ほんとうに思い慰める方法すらありませんが、しかしせめて寂しさのあまりに心すさんで自棄的なふるまいをする身だとだけは、思いますまい』という記述も見える。・・・ともあれ、宣孝との日々が、紫式部の特異な男性観や結婚観を生み出したことは確実である。それはやがて、『源氏物語』の世界にさまざまなかたちをとって現われることになるであろう」。
●『源氏物語』に描かれた王権と宮廷政治
「一見すると雅な恋愛物語であるかのように見える『源氏物語』が、じつは王権と宮廷政治の物語でもあり、数々の政治史的要素や後宮闘争を組み入れた作品であることは、少し読み込めば容易に理解されるところである」。紫式部は宮廷政治の機微を見抜く眼力を備えていたというのです。そして、光源氏の造形の中に道長の実際の生涯が投影された可能性に言及しています。
●道長との贈答歌
「(『紫式部日記』に)道長との贈答歌、そして渡殿の戸を叩く者との贈答歌が収められている。・・・別に深い意味はなく、儀礼的な挨拶程度の戯れ歌といったところであろう。この年、道長は44歳、紫式部は37歳である。・・・古来から、この(戸を叩いた)男が道長かどうか、この後に道長と紫式部の間に情を通じる機会があったかどうか、『源氏物語』の空蝉(うつせみ)の造形はこの出来事を基にしているなど、歴史学者から見ると笑止千万な議論があり、はては紫式部が好色の罪によって地獄に堕ちたとされたり、『尊卑分脈』に紫式部を『御堂関白道長の妾と云うことだ』と注記されたりといった、紫式部本人にとってははなはだ迷惑な伝説ができあがっている」。
読後に、才女・紫式部にも夫との性生活に不満を抱く面があったことを知り、なぜか親しみが湧いてきたことを告白します。