榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

多田富雄、網野善彦、加藤周一の最終講義は、なぜ、こんなに刺激的なのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2648)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年7月17日号】 日本の最終講義(増補普及版)

ナガサキアゲハの雄(写真1、2)、クロアゲハの雄(写真3~5)、アゲハチョウ(写真6~8)、アオスジアゲハ(写真9、10)、ツマグロヒョウモンの雄(写真11、12)、キマダラカメムシ(写真13)をカメラに収めました。今季初めて、ミンミンゼミの鳴き声を耳にしました。川の近くの叢でイシガメ属の一種あるいは交雑種と思われる個体(写真14、15)を見つけました。長年、出会いたいと願っていたニホンイシガメかと、一瞬、心がときめいたが、Sさんに問い合わせた結果、上記の判断に至りました。

閑話休題、普及版が刊行されたのを機に、『日本の最終講義(増補普及版)』(鈴木大拙他著、KADOKAWA)を読み直しました。

とりわけ印象に残ったのは、多田富雄の「スーパーシステムとしての免疫」、網野善彦の「人類史の転換と歴史学」、加藤周一の「京都千年、または二分法の体系について」――の3つです。

●多田富雄
自己生成的な特徴を持ち、自ら自己の境界を決定している生体システムを多田は「スーパーシステム」と名づけています。「私は最初に、『免疫学的な自己とは何か』というところから出発しました。それをスーパーシステムと考え、自己というものの成り立ちと維持について、いくつかの側面を眺めてきました。スーパーシステムとしての免疫学的自己の特徴は、次のようになります。それは、単一な造血幹細胞が場の情報に応じて多様化し、その間に新しい相互関係を作り出すという、自己生成的なものであります。こうして作り出された『自己』と『非自己』の境界は、従来考えられていたように、厳格に切り離されたものではなくて、ファジーなものにすぎない。しばしばそれは自己と反応するというような矛盾を起こしながら、ダイナミックに非自己に対応している。その様々な戦略がようやくみえ始めてきた。免疫系は、単なる多様なクローンの集合ではなく、また個別のクローンの選択で免疫系が成立しているのでもない。それはスーパーシステムとして自ら生成し、自己の境界を決定しているのです。スーパーシステムとして進化するという道を選んでしまったために、免敬系は、単なる生体防御機構ではなくて、自己という個別性を持ち、それを変革しながら拡大してゆくという運命を持ち続けていると思います。そのために、逆に自己免疫とかアレルギーといった矛盾も生じたものと思います。免敬系にはスーパーシステム全般の成立と維持の様々な原理が含まれています」。免疫系がスーパーシステムとして進化するという道を選んでしまったという、スケールの大きな考え方に惹きつけられました。

●網野善彦
「これまでの近代史学は、マルクス主義だけではなくて、近代の歴史学の根本には、人類の進歩という基本的な理念があったと思う。ところがそれがそのままでは成り立たなくなってきていることが明白になってきた。もう一つ、これまでの歴史把握、歴史叙述の根本だった、国民史といいますか、あるいは国家史といったほうがいいのかもしれませんが、これまた、これまでの姿で維持できなくなってきているというのが現状ではないかと思うんです。・・・これからの研究の一つの方法として、現在の国境にかかわらず歴史自体の中で形成されてきた地域とか海域に目を向ける方向が出てきていますね。地中海世界とか、倭寇世界とか日本海世界。これは海域によって考えるんですけれども、かなりこの方向は広がりつつある。川勝平太さんが海洋文明史観などと言っていますが、そういう方向が出てきたことも確かに大変結構なことだと思います、インド洋、カリブ海などでもこういう捉え方が現われつつあって、そこにこれまでの国家・国民とはちがう新しい社会のつながりを見い出そうといい動きがあり、成果を上げつつある」。進歩主義と国家史からの脱却が必要という視点は新鮮ですね。

●加藤周一
「1000年前の京都に何がおきていたか。それがきょうの論題の一つです。その大きな一つは、紫式部が『源氏物語』を書いていた。・・・『源氏物語』は突然出てきたものではない。それ以前から、京都にあった文学的伝統を踏まえて、さらにその行く末を見ようとしたものでしょう。何もないところからの創作ではなく、文学的京都の伝統を踏まえてということが大切です。それはどういう伝統か。一つは『宇津保物語』という非常に長い小説があった。長編小説が、『源氏物語』以前に京都に生まれていたということです、内容の上では、『源氏物語』は非常に細かい心理的な問題を扱っています。具体的・日常的な生活の中での、心理的なニュアンスの移りゆきを叙述するということでは、おそらく世界最初かもしれない。しかし『蜻蛉日記』という作品があって、これも『源氏物語』以前です。『源氏物語』のなかには歌がたくさん出てくる。歌だけではなくて、文章に美的な洗練があります。そういう美的・感覚的な文化を文学作品に仕上げている。そういう伝統も京都に生きていて、『伊勢物難』にすでに見られる。いまの三つの要素が、『源氏物語』によって統一されるわけです。この三要素の上に新しいものをつくり出した。『源氏物語』は孤立して生まれたのではなく、京都文化の持続のなかから生まれてきたものです。しかし、『源氏物語』はもちろん、画期的な、新しい創作です。アジアに限らず、おそらく全世界の文化で、日常生活を背景にした長い心理的な小説という意味では、世界最初のものです」。『源氏物語』には、3つの先行作品があったという指摘には、目から鱗が落ちました。