ブッダが業や輪廻を信じていたとは!・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3237)】
カワヅザクラ(写真1、2)、ツバキカンザクラ(写真3、4)、カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真5~9)が咲いています。ヨコハマヒザクラ(写真10)が咲き始めました。ニキシマンサク(写真11、12)、アカバナマンサク(写真13、14)、サンシュユ(写真15、16。15は撮影助手<女房>撮影)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,996でした。
閑話休題、人間ブッダに強い関心を抱いている私にとって、時空が歪むほど衝撃的な本が出現しました。『ブッダという男――初期仏典を読みとく』(清水俊史著、ちくま新書)が、それです。なにしろ、ブッダは●戦争や暴力を否定しなかった、●業と輪廻を否定しなかった、●階級差別を否定しなかった、●男女平等を主張しなかった――というのですから。
著者は、「ブッダの歴史性を明らかにしようとする際に、最大の障害となっているのは、仏典の神話的装飾でも後代の加筆でもなく、我々の内側にある『ブッダの教えは現代においても有意義であってほしい』という抗いがたい衝動である。結果として、これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探求しているはずが、彼が2500年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている」と、激しく非難しています。
初期仏典を先入観なしに読みとくことによって、「およそ2500年前に生きたブッダという男は、輪廻を当然の前提として受け入れており、この世の貧富や差別、そして理不尽な死の原因は過去世の業(カルマ)であると考えていた。確かにブッダは、当時差別されていた隷民や女性にも出家を認め、彼らにも悟りを得る可能性があると主張した。だが、この主張は、当時のインド思想において決して先駆的なものではなく、類似した考え方がすでに起こっていた。初期仏典を通覧するならば、この結論は揺らぎようがない」と、強い自信を示しています。
私にとって、とりわけショックなのは、ブッダが業や輪廻を信じていたという点だが、著者の説得力ある論証には首肯せざるを得ません。それにしても、ショック、ショック、大ショックです。