榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ヴィヴァルディは司祭より音楽家、音楽家より劇場経営者を目指した挑戦的な人物だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3421)】

【読書の森 2024年8月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3421)

昨晩は、涼風に吹かれながら、力強い和太鼓が響く地元の盆踊りを楽しみました。近所の美女軍団に出会いました(写真1~6)。ホウセンカ(写真7)、ハイビスカス(写真8)、オシロイバナ(写真9)が咲いています。

題、私は、クラシック音楽はヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトしか聴かない変わり者です。バッハ、モーツァルトの生涯については、いろいろ読んできたが、ヴィヴァルディについてはヴァイオリン協奏曲「四季」の作曲家で司祭(神父)だったということしか知りませんでした。

ヴィヴァルディの生涯――ヴェネツィア、そしてヴァイオリンを抱えた司祭』(ジャンフランコ・フォルミケッティ著、大矢タカヤス訳、三元社)のおかげで、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678年3月4日~1741年7月28日)がどういう人物だったのかを知ることができました。

個人的に、とりわけ興味深いのは、●ヴィヴァルディは司祭より音楽家、音楽家よりゲイ場経営者(オペラ興行主)を目指した挑戦的な人物だった、●ヴィヴァルディはヴァイオリニストとしても、作曲家としても、音楽教育家としても、劇場経営者としても、故国のイタリアのみならず、ヨーロッパ中で一世を風靡した、●そういうヴィヴァルディだが、19世紀には忘れ去られた存在となり、20世紀初めに再発見された――の3点です。

●ヴィヴァルディは司祭より音楽家、音楽家より劇場経営者(オペラ興行主)を目指した挑戦的な人物だった――

ヴィヴァルディは頭髪の色から「赤毛の司祭」と綽名されたが、司祭の仕事には熱心でなく、自分に才能があると信じた音楽に熱中しました。その後、劇場経営に乗り出したが、彼は大きな賭けを恐れぬ大胆さを備えた凄腕の経営者でした。

●ヴィヴァルディはヴァイオリニストとしても、作曲家としても、音楽教育家としても、劇場経営者としても、故国のイタリアのみならず、ヨーロッパ中で一世を風靡したこと――

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは自身の編曲集の中にヴィヴァルディのコンチェルト(協奏曲)を挿入しています。

ジャン=ジャック・ルソーは「四季」をフルート独奏用に書き直しています。

「ヴィヴァルディは成功に至るための業(わざ)を心得ていた。的確な状況判断と節度を保って、ほとんど忍び足で、最初の数歩を踏み出しつつ、間違いなく自分自身で経営する能力を発揮し始めていた。ピエタでは職業上完璧な人物として自身のイメージを作り上げることに成功しており、彼の出し物の質の高さとその目を見張るような天才的技量はこの君主の心を征服し始めていた。しかしながら、これほどのレヴェルの人物でも平坦な道をたどることはできなかった。彼は友人にも敵にも出会うよう運命づけられていて、彼の星が輝きを増すにしたがって、敵も増えることになる」。

●そういうヴィヴァルディだが、19世紀には忘れ去られた存在となり、20世紀初めに再発見された――