アパートの粗末な一室から独特の文章を紡ぎ出した森茉莉、與謝野寛・晶子の夫婦関係の一瞬の機微を掬い上げた吉屋信子・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3823)】
東京・港の南青山の和食処「こはぜ」は、料理も雰囲気も最高! イーピーエス時代の仲間と思い出話で盛り上がりました。因みに、本日の歩数は11,855でした。
閑話休題、『森 茉莉 吉屋信子』(森茉莉・吉屋信子著、小池真理子編、文春文庫・精選女性随筆集)で、とりわけ印象に残ったのは、森茉莉の「老書生犀星の『あはれ』」、「森の中の木葉梟(このはずく)」と、吉屋信子の「與謝野晶子」です。
●老書生犀星の「あはれ」
▶(室生)犀星は文学に飛びかかり、文学をしゃにむに、腕と手でねじ伏せ、足の下にひき据えたが、そうして、そこに、鋭い、禿鷹のようなしたたかさを、持っていたが、文章を書いていない時の犀星は母への悲慕と、女への思慕と、そこに溜められ、たくわえられて来た、蜜のような、「あはれ」を知る心で一杯になった、一人の哀しみの人間で、あったのだと、私はそう、思っている。
●森の中の木葉梟
▶住んでいるのは壊れかけたようなアパルトマンの中の一つの部屋だが・・・。
▶何を考えているのか、何を見ているのか、一向判然しない目玉を据えているのである。それであるから、棲んでいるというのである。まるで深い、大きな、森の中の大きな樹の洞の中に凝として、目を据えている木の葉ずくのような私である。湿った土や、湿った木の葉に包囲された森の中のような棲み家(か)であるし、歩く道が定まっているのも森の小動物のようである。
▶私は今父親(=森鴎外)の死と、室生犀星の死と三島由紀夫の死とに囲まれて、まっ暗な闇の中にいる。それでなおさら私の生活は森の中に棲む梟のようになっている。
アパートの粗末な一室から独特の文章を紡ぎ出した森茉莉。周りを気にすることなく、己の人生を飄々と楽しみながら生きた茉莉の小気味いい、切れ味のよい文章に酔い痴れることができました。
●與謝野晶子
▶その凛乎たる自誇の勇ましさに身ぶるいするほど私は感激した。與謝野夫人は類型的の美人の観念には当てはまらぬ強烈な容貌だった。
▶夫人の歌はたくさん暗記していても寛氏の歌はわずかにこの一つをうろ覚えにしていただけだったが、勇気を出して言った――。・・・寛氏ははにかんだようなとまどった顔をされたが、晶子夫人の目はぱっと輝いた気がした。「主人の歌は立派なものでございます。私はその弟子ですものね」。低い声を強めて言われた瞬間、私はしいんとした。
與謝野寛と晶子の哀しくも美しい夫婦関係に心が痺れたが、こんなに短い文章で、その一瞬の機微を鋭く掬い上げた吉屋信子は只者ではないと感じました。