漱石と鴎外、漱石の牡蠣的生活、若者たちを励ます漱石――漱石好きには見逃せないエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2169)】
キズイセン(写真1)が陽を受けています。さまざまな色合いのクロッカス(写真2~8)が咲き競っています。我が家のクロッカス(写真9)も頑張っています。
閑話休題、若い読書仲間の只野健さんの書評に触発されて、エッセイ集『千駄木の漱石』(森まゆみ著、ちくま文庫)を手にしました。
とりわけ印象深いのは、「漱石と鴎外」、「牡蠣的生活」、「憂鬱な若者たちを励ます漱石」の3篇です。
●漱石と鴎外――
「(漱石は)鴎外を『当世の文人中にては先ず一角ある者と存じ居り候いし』と見極め、作品は『結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者』と的確に評価している。・・・漱石は鴎外を好敵手として意識していた。・・・鴎外は公平な人であったから、漱石を認め敬意をはらっている。・・・漱石の活躍に技癢を感じてふたたび小説を書き出したと『ヰタ・セクスアリス』に率直に書いている。すなわち『三四郎』に触発された『青年』がそれである。・・・この中で自分を森鴎村と戯画化するとともに、平田拊石という作家のイプセンに関する講演を登場させた。漱石がモデルとされ、実際、講演を聞いたのでなければ書けないような臨場感にあふれている」。
「大正五年十二月九日、漱石は数え年五十歳で死去。その葬式に現れた紳士の神彩奕々たる威容に、受付をつとめていた若き芥川龍之介は驚いた。常ならぬ人と名刺を見ると森林太郎とあった。彼は時代の好敵手が幽冥境を異にするのを見送りに来たのである。五十代なかばの鴎外はあと六年を生きることとなる」。
●牡蠣的生活――
「(『吾輩は猫である』には)やたら牡蠣という言葉が出て来る。『牡蠣のごとく書斎に吸い付いて』いるのは、神経衰弱で引きこもりがちの漱石その人である。社交的でもないし、外界への興味もない。人がくれば怯え、かといって外出する勇気もない。これを『牡蠣の根性』という。・・・牡蠣は『殻の中に閉じこもる人』ばかりではなく、『異性に動かされる事のない堅物』をも指す。所帯持ちにとって若い友人がいまさら愛だの恋だのというのは、うるさくもあるが、すでに我が身には起こりえないと思い定めた恋の話は心浮き立つものでもある。・・・主人の苦沙弥先生は『実のところは決して婦人に冷淡な方ではない』。西洋の小説の主人公が、大抵の婦人には必ずちょっと惚れる、往来を通る婦人の七割弱には恋着する、というのを読んで『これは真理だと感心したくらい』の男である。まったく男っていうものは浮気で信用ならない。ならば彼はなぜ、牡蠣的生涯をおくっているのか。猫が聞いて納得した説では、一 むかし失恋したためである。二 胃弱のせいである。三 金がなくて臆病なたちだからである。 漱石は若いころ、井上眼科で見かけた女性を皮切りに、友人の妻大塚楠緒子に淡い思慕を向け、兄嫁なども好きになったことは事実のようだ。しかし行動がともなわない。生来の『無精』『のらくら』であるし、体格・健康面から女に言い寄る自信がなかったのかもしれない。願望や妄想があったとしても、女性は見合い結婚した鏡子夫人一人しか知らなかったのではないか」。
●憂鬱な若者たちを励ます漱石――
「漱石のまわりにいる青年たちは(日露戦争の)戦捷にも浮かれてはいられなかった。大学を出ても就職口は少なかったし、ことに英文学などは無用の学問のように思われ、つぶしもきかなかった。徴兵制は戦争が終っても依然としてあり、結核の恐れは頭を去らなかった。・・・青年たちは憂鬱だった。それを教師漱石はあたたかく、ユーモアをもって励ます。・・・漱石は優秀な編集者、つまり才能を見いだす名伯楽でもあったといえよう。新人の作品を斡旋した。いいと思う作品には公平に評価を下して吹聴した」。
本書のおかげで、私の知らなかった漱石に出会うことができました。持つべきは、よき読書仲間ですね。