漱石山房を訪れる門下生たちに交じって、漱石の謦咳に接したかったなあ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(4021)】
5日間、通った甲斐があり、遂に、クイナ(写真1~5)を撮影することができました。ニホンアカガエルの卵塊(写真6、7)をカメラに収めました。ハクモクレン(写真8~11)、モクレン(別名:シモクレン。写真12~15)が咲いています。我が家の庭師(女房)から、苔玉のイロハモミジの若葉が出てきたわよ、と言われて驚く迂闊な私(写真16)。因みに、本日の歩数は7,072でした。

















閑話休題、『夏目漱石博物館――絵で読む漱石の明治』(石﨑等・中山繁信著、彰国社)では、夏目漱石が見た世界が精密なイラストで再現されています。
●神楽坂
牛込第一の繁華街である神楽坂は、漱石の実家からそう遠くない町であった。毘沙門の縁日はもちろん、蕩児の兄たちに誘われて神楽坂芸者と一緒にトランプ遊びをした懐かしい場所である。『それから』の代助の住まいも神楽坂近傍に設定されている。【飯田橋の会社時代、神楽坂界隈でよく飲みました】
●お茶の水橋
漱石にとって、お茶の水界隈は青春の地であった。神田区駿河台東紅梅町(現・千代田区神田駿河台)にあった井上眼科病院で初恋の人と思われる女性に出会った体験があるからである。【学生時代に、井上眼科病院を見学しました】
●熊本での生活
漱石はかなりの引っ越し魔であった。熊本では6度の多きに及んでいる。5番目の内坪井町の借家は、10円の家賃で狩野亨吉の後に入った。それまでで最も立派な上、住みよかったが、どういう理由か、漱石の英国留学直前に2階建て6間の北千反畑の家に移っている。【入社直後の熊本県担当時代に、内坪井旧居を見学しました】
●漱石山房(早稲田南町)
英国留学から帰国した漱石にとり、漱石山房は借家ながら、落ち着いて本格的に仕事に打ち込むのにうってつけの家であった。【漱石山房を訪れる門下生たちに交じって、漱石の謦咳に接したかったなあ】
●日比谷公園
明治43(1910)年の退院後、朝の日課として日比谷公園、夜の日課として銀座界隈をそれぞれ散歩のコースに選んでいる。【銀座の本社勤務時代、銀座と日比谷公園は私の散歩コースでした】
