榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

司馬遼太郎は、終生、暴走した昭和の軍部を憎んでいた・・・【情熱の本箱(40)】

【ほんばこや 2014年7月13日号】 情熱の本箱(40)

いわゆる「司馬史観」を批判する識者がいる。この「司馬史観」について、司馬遼太郎本人は「『司馬史観』なんていうのは、やめてくれんかな」とこぼしていたという。「自分でもおもしろいと思う歴史認識を得られるのは、『十年に一度』と(司馬が)謙遜したことがある。小説やエッセイに見られる歴史解釈は読者を惹きつけてやまないが、当人にしてみると、それを『史観』などと大げさに扱わないでほしいという。学者はさまざまな史料を校訂し、吟味し、意味のない想像を極力排除して、事実を探求し、組み立て、真実に至ろうと苦悩する。『その枠の中から一歩も出まいという姿勢こそ、意義のあることであるし、それこそがわれわれが共有できる文化というもの』であるのに対し、自分は事実は枉げないものの、史料を触媒として使い、その枠など無視して、自由に想像の羽を伸ばしているのだから、『史観』などというたいそうな言葉を使ってほしくない、という」と、『司馬遼太郎という人』(和田宏著、文春新書)の著者が記している。

文藝春秋の出版部で長く司馬の担当編集者を務めた著者が手がけた本だけに、司馬作品を読んだだけでは窺い知ることのできない司馬の素顔が見事に描き出されている。

「史料は自分で読むしかない」――「凄まじいといっていいほどの司馬さんの取材力に、秘書がいて史料の仕分けをしたり、メモを取ったり、取材ノートを作ったりしているのではないか、といったことがよく囁かれた」ことに対する司馬の答えである。

「『坂の上の雲』(司馬遼太郎著、文春文庫、全8巻)は大ベストセラーであった。しかし連載当時からさまざまな批判がなかったわけではない。あれは司馬さんがいうように『祖国防衛戦争』であったかなどなど、疑問を呈する意見はいまでも多い。・・・ただこの小説をよく読むと、とても『国威発揚』的な、日本人は優秀な民族であるといった景気のいいものではない。・・・そして伏流しているテーマを追っていくと、私などには『たしかに日本にとってぎりぎりの選択ではあったが、こういう戦争はすべきでない。薄氷を踏みつつ、たまたまうまくいっただけである』と書くのが目的であったかのようにみえる。のちの軍隊において顕在化してくるさまざまな欠陥の萌芽――派閥(藩閥)の存在および高級軍人の官僚化、それに伴う作戦の硬直化、新兵器や兵器開発への鈍感さ、兵站への意識の低さ、次第に神話化する兵隊の強さ、それも精神力への過度な依頼心、情報への感度の悪さ、なによりも艦隊をワンセットしかつくれない国力のなさなどが小説の中で繰り返し指摘され、民間でも国民を煽り立てるばかりの新聞の存在など、むしろ『日本人は国外に出ていって近代戦をやるには向いていない』といっているのだとさえ思える。昭和前期へ至る重要なテーマを銜(ふく)んでいるのを見逃してはならない」。司馬はもちろん凄いが、謙遜頻りの著者・和田宏もどうしてどうして、なかなかの目利きである。

司馬は、自分が少尉として従軍し、敵のロシア(ソ連)によって完膚なきまでに殲滅された1939(昭和14)年のノモンハン事件を書く準備を進めていたというのである。「生存している人に会うなど、すべての取材を終り、書くばかりのところまできて、『ノモンハン事件』の執筆を断念してしまった」。「『書いていたら憤激のあまり、ぼくは死んでいたと思う』とまであとでいっている。関東軍首脳部の思い上がり、高のくくり方のために多くの将兵が死んだ。そしてその教訓はなんら活かされることはなく、無謀この上ない太平洋戦争へと突入していった。昭和20年にいたるまでの軍部に対する司馬さんの憎しみは、終生持続し、繰り返し語られた。・・・この幻の小説『ノモンハン事件』は『坂の上の雲』よりは質量は小さいながら、連星として組になって互いの引力で回転するはずのものであった。その伴星となるものがなくなり、『坂の上の雲』にはやや不必要な磁場のみが残った。これがこの作品に対するさまざまな誤解の糧になっている。司馬さんにはそれがよくわかっていたから、誤解を助長することになりかねないテレビや映画など映像化の話には、亡くなるまでうなずかなかった」。

本人の言葉。「影響を受けたという作家はいないけど、ツヴァイクが好きだった」。

司馬の著者への手紙の一節。「小生としては、書きはじめた以上、井上靖・松本清張の功績までのべたいのですが、まあ、共通化論のダシで、お二人がおよろこびになるかどうかわかりませんが、まあ、書かないでおくか」。

「司馬さんは海音寺潮五郎さんのことを話すとき、いつも心から敬愛する先輩に対する口ぶりになる」。

私が司馬遼太郎という作家を知ったのは、22歳の夏、A型肝炎で長期入院した時に会社の先輩が見舞いに持ってきてくれた『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著、文春文庫、全8巻)によってであった。早速、読み始めて違和感を持ったのは、書き出し部分が一向に歴史小説らしくなく時代小説的だったからである。この違和感の背景を、今回、著者が明快に解説してくれた。「『竜馬がゆく』の書き始めをみると、泥棒である寝待ノ藤兵衛や遊女の冴などを登場させて、あきらかに旧来の時代小説作法を踏襲している。が、連載を開始して、ちょうど1年たったとき、突如『閑話休題』と称して、時代背景の解説を入れている。このとき作家の中でなにかが弾けた。いままでとは異質の大作家司馬遼太郎の誕生の瞬間であった」。泥棒も遊女も必要なくなった司馬は、時代小説作家という古着を一気に脱ぎ捨てたのである。