榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛だった・・・【続・独りよがりの読書論(10)】

【にぎわい 2008年12月1日号】 続・独りよがりの読者論(10)

慶応3(1867)年11月15日午後9時過ぎ、潜伏先の醤油商・近江屋の2階で、坂本龍馬は刺客に襲われた。1の太刀で額を真横に切り裂かれた龍馬は、床の間に置いてあった大刀の方へにじり寄るところを背後からばっさりと2の太刀を浴びせられる。このとき、龍馬は実に気味の悪い嫌な悲鳴を上げたと、後に暗殺者が語っている。続く3の太刀を龍馬は辛うじて鞘ごと受けるが、体を深く切られ、絶命する。

暗殺の直後から今日に至るまで、暗殺者は誰かということが議論されてきたが、数ある説の中で、「京都見廻組の今井信郎ら7人の刺客が龍馬を襲い、今井が命を奪った」という説が、現在では定説となっている。『坂本竜馬を斬った男――幕臣今井信郎の生涯』(今井幸彦著、新人物往来社。出版元品切れ)の中で、この説が詳しく検証されている。因みに、著者は今井信郎の孫に当たる。

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龍馬暗殺の実行者は誰かという問題は解決したものの、暗殺を指令した黒幕は誰かという、より重要な問題が謎のまま残されたことになる。これまでに、松平容保、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、後藤象二郎など、さまざまな黒幕説が立てられている。『竜馬伝説を追え』(中村彰彦著、学陽書房・人物文庫)は、これらの黒幕説をすべて検討した上で、「黒幕は西郷隆盛」という結論を下しているが、この仮説には有無を言わせぬ説得力がある。

この本は、入社したばかりの女性編集者の質問に作家が答えるという形で話が進行するため、龍馬のことだけでなく、幕末という激動の時代の複雑な潮流も、すっきりと分かる。幕末史の入門書としても十分役に立つと思う。

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西郷が黒幕だという証拠があるのか。『龍馬暗殺の謎――諸説を徹底検証』(木村幸比古著、PHP新書)は、状況証拠をいくつか挙げている。
●龍馬は真剣に徳川慶喜を新政府の議長席に座らせるつもりでいた。天皇親政が実現するならば、265年間、政権を担ってきた徳川幕府の長に議長ポストという恩典を与えてもよいと龍馬は考えていた。ところが、あくまで武力討幕を貫こうとする薩長は龍馬の考えに猛反対であった。薩長同盟のコーディネイターであった龍馬も、薩長にとって今や邪魔な存在と化し、密かに暗殺が企てられたのだ。
●慶応3年10月14日の慶喜の大政奉還と同時に討幕の密勅が薩長に下っていた。前年に成立した薩長同盟は武力討幕を決めていたが、龍馬が推進する平和革命の大政奉還のせいで、討幕計画挫折の可能性が高まってきた。薩摩は土佐とも盟約を結んでいたが、このままでは討幕の大義名分を失ってしまう。薩摩は、あくまでも武力討幕を実現させたかったのだ。龍馬暗殺事件直後、西郷が同志宛てに「今回のこと土佐にとっては不幸中の大幸なり」と書き送り、疎ましい存在となっていた龍馬の暗殺を肯定的に評価している。
●薩長にとって、龍馬の存在が新政府を樹立する上で目障りであったのは事実だが、これには龍馬が薩長間を往来する間に両藩の内情を知り過ぎたという一面もあった。
●越前藩の前藩主・松平春嶽が、「薩摩藩が武力討幕に失敗した結果、龍馬を逆恨みして陰謀を企てたに違いないと政治形勢から直感した」と書状の中で綴っている。
●明治2(1869)年、今井は、箱館(現在の函館)戦争の降伏人として反乱罪で取り調べを受け、龍馬暗殺に関わっていたことも加えられて検挙されたが、西郷の助命措置により一命を取り留めている。

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西郷は暗殺というような手段を弄する人物なのか。勝海舟の言葉を集めて編まれた『氷川清話』(勝部真長編、角川文庫)で、勝はこう語っている。「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)だ。横井は、西洋のことも別にたくさんは知らず、おれが教えてやったくらいだが、その思想の高調子なことは、おれなどは、とてもはしごを掛けても、およばぬと思ったことがしばしばあったよ。・・・その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方がまさるほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。・・・横井の思想を、西郷の手で行なわれたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出て来たわい」。「坂本(龍馬)が薩摩から帰ってきていうには、『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばか(馬鹿)なら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう』といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ」。

このように西郷も龍馬も傑出した人物であり、互いに実力を認め合っていた。当時、西郷は薩摩の実質的なリーダーであり、武力討幕は彼の信念であり、基本戦略であった。西郷というのは、己の信念のためならば、自分の命を捨てても惜しくないという男であった。その信念の前に立ちはだかる敵対者の命についても、同じように考えたと、私は推考している。まして、龍馬は侮れない実力、影響力の持ち主であったのだから。

ここで、西郷の戦略家としての心理と行動を如実に物語る証拠を挙げておこう。大政奉還に続く、慶応3年12月9日の王政復古の直後、政治的に慶喜の息の根を止める必要があると考えた西郷は、江戸で浪人を組織して、乱暴狼藉の限りを尽くさせた。御用党と称するこの集団は、強盗、殺人まで起こして江戸の町を荒らし回った。怒った幕府は、遂に薩長軍に対して宣戦を布告する。鳥羽・伏見の戦いが起こり、イギリスの後押しを受け軍備に勝る薩長主力の新政府軍が圧勝する。こうして西郷の狙いは見事に当たり、目的を遂げたのである。

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龍馬の発想と行動を知るには、『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著、文春文庫、全8巻)が最適である。龍馬の思想は、勝と横井の影響を強く受けており、西郷らが目指す武力革命とは一線を画し、平和的に日本を幕藩体制から共和的政体へ変革しようというものであった。そして、何と言っても龍馬はスケールの大きな快男子であった。

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横井の全体像は、『慶喜を動かした男――小説 知の巨人・横井小楠』(童門冬二著、祥伝社文庫)で知ることができる。横井の思想は、新国家の将来構想ともいうべき龍馬の「船中八策」、明治元年の「五箇条の誓文」、明治7年の「民撰議院設立建白書」へと受け継がれていくのだが、横井の思想の独創性、先見性を理解するには、『国是三論』(横井小楠著、花立三郎訳、講談社学術文庫。出版元品切れ)が便利。