榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

写真だけを頼りにアメリカに渡った日本人花嫁たちの過酷な体験・・・【情熱の本箱(144)】

【ほんばこや 2016年5月25日号】 情熱の本箱(144)

小説『屋根裏の仏さま』(ジュリー・オオツカ著、岩本正恵・小竹由美子訳、新潮社)は、1900年代初めにアメリカに渡った日本人花嫁たちの体験談が下敷きになっている。

いわゆる「写真花嫁」として、未知の国アメリカの、写真でしか見たことのない夫となる人のもとに嫁いでいった日本人女性たちは、さまざまな苦労を強いられる。苦難の日々を耐えて、どうにかこうにかそれなりに平穏な暮らしができるようになってきたと一息ついたのも束の間、真珠湾奇襲後の反日感情の高まりの中で実施された日系人強制収容政策により、築き上げた全てを失い、僅かな手荷物だけを携えて遠隔地の収容所に送られていくまでが描かれている。

本書の主人公「わたしたち」は特定の女性ではなく、多くのさまざまな日系移民の女たちが語り手となっている。「わたしたちは・・・」、「わたしたちは・・・」、「わたしたちは・・・」と矢継ぎ早に次から次へと語られるエピソードの断片が、よりよい生活を夢見て渡米したのに、初めて会う夫に裏切られ、そしてアメリカという国に裏切られる女たちの全体像をジグソー・パズルのように浮かび上がらせる。彼女たちを待っていたのは、過酷な重労働の日々であり、差別と偏見に晒される生活だったのである。

「船のわたしたちは、ほとんどが処女だった。黒くて長い髪、幅の広い平らな足、背はあまり高くなかった。子どものころから薄い粥しか食べたことがなく、がに股気味の者もいた。14歳で、まだほんの少女の者もいた。・・・船でわたしたちは、最初に――気が合うか合わないか判断する前に、日本列島のどの地方の生まれか教えあう前に、日本を離れる理由を言う前に、おたがいの名前さえ覚える前に――夫となる人の写真を見せあった。・・・船でわたしたちはよく考えた。あの人のことを好きになるかしら。愛せるかしら。波止場にいるのを初めて見るとき、写真の人だとわかるかしら」。

「船のわたしたちは、初めて夫に会ったとき、いったいだれなのか見当もつかないとは思いもしなかった。ニット帽をかぶり、みすぼらしい黒い上着を着て、下の埠頭で待っている大勢の男たちが、写真のハンサムな男とは似ても似つかないだろうとは。わたしたちに送られてきた写真が20年前のものだとは。わたしたちに宛てた手紙が、夫ではなく、嘘をついて心をつかむのが仕事の、字の上手なそれ専門の人が書いたものだったとは。海をはさんで自分の名前が呼ばれるのを初めて聞いたとき、ひとりは帰りたいと目を覆って顔をそむけ、けれども、残りのわたしたちは、顔を伏せ、着物の裾をなでて整え、タラップを下りてまだ温かな日のなかに踏み出すことになろうとは。ここはアメリカだ、とわたしたちは自分に言いきかせた。心配することはない」。しかし、「それは、誤りだった」と知ることになるのである。

「最初に教わった彼らの言葉は『水(ウォーター)』だった。畑で気が遠くなりかけたら、すぐに大声でそう叫べ、と夫は言った。『この言葉を覚えるんだ、死なずにすむように』。・・・ほかにもすぐに覚えた言葉がある。『よし(オール・ライト)』――これはわたしたちの仕事に雇い主が満足したときの言葉だ。それから、『帰れ(ゴー・ホーム)』――これはできが悪かったり、のろかったりしたときの言葉だ」。

「もし、わたしたちの夫が、手紙に本当のことを――絹商人ではなく、果物摘みの労働者だと、幾部屋もある大きな家に住んでいるのではなく、テントや納屋に住んでいたり、畑で、太陽と星の下で野宿したりしていると――書いていたら、わたしたちはアメリカに来ることも、まともなアメリカ人ならやらない仕事をすることも、絶対になかったはずだ」。

「わたしたちは、だだっ広い畑の真ん中にあるヤナギの木陰に建つ、床は地面が、むき出しの小屋に住み、わらを詰めたマットレスで眠った。屋外の地面に掘った穴で用を足した」。

「夫はわたしたちを奴隷のように働かせた。やつらは、ただ働きさせるために、あの娘たちを日本から呼び寄せた。わたしたちは畑で一日中働きつづけ、手を休めて夕食をとることもなかった。石油ランプのあかりを頼りに、夜遅くまで畑で働いた。一日も休まなかった」。

「毎夜、夫の相手をしたが、あまりに疲れていて、行為が終わる前に眠ってしまうことが多かった」。

わたしたちにも漸く平穏な日々が訪れたと思った矢先、新たな苦難が襲いかかる。「1月に、わたしたちは、当局に氏名を登録し、禁制品はすべて地元の警察へ提出するよう命令された。銃、爆弾、ダイナマイト、カメラ、双眼鏡、刃の長さが15センチ以上あるナイフ、懐中電灯や発煙筒といった合図に使える道具、攻撃の際、敵を手助けするために使えそうなものはなんでも。それから、旅行制限がやってきた――わたしたち日系人は全員、自宅から8キロ以上離れてはならない――それに午後8時以降の外出禁止令」。

さまざまな苦汁を嘗めた日本人花嫁たちの過酷な運命を通じて、貧困、移民、差別、戦争などについて深く考えさせられる作品である。