榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

恐るべき戦略・戦術家、大石内蔵助の研究・・・【リーダーのための読書論(9)】

【医薬経済 2007年12月1日号】 リーダーのための読書論(9)

大石内蔵助は主君・浅野内匠頭の仇討ちのために吉良上野介邸に討ち入ったのではないと主張する、とんでもない本がある。『四十七人の刺客』(池宮彰一郎著、角川文庫、上・下巻)がそれであるが、その小太りの田舎者じみた風貌に似合わぬ大石内蔵助の恐るべき戦略・戦術は、現代のリーダーにも大いに参考になる。

大石内蔵助は、吉良邸討ち入りを、浅野内匠頭が江戸城内で切りつけた吉良上野介、吉良上野介の長男が養子に行き当主となっている名門・上杉家の江戸家老である知恵者・色部又四郎、上杉家の強力な後ろ盾である時の権力者・柳沢吉保の三者連合との、命を懸けた戦いと位置づけたのである。「これは、不当に仕掛けられた戦である。敵は不意に乗じ、緒戦で我が将の首を取り、領国を奪い取った。我ら敗残の戦士は、野に伏し山に寝て捲土重来を期し、敵に一矢を報いるべきである」、「我々は戦士である。戦士の使命は危急存亡の折に、身命を捨てて戦うだけではない。戦士は勝たねばならぬ、勝つことが戦士の本分なのだ」と考えていたのである。

内蔵助は、筆頭国家老でありながら、当時には珍しい経済通・財政通であった。赤穂特産の大規模な製塩事業と大坂(現在の大阪)での塩取り引きによって蓄えていた豊富な資金が、討ち入りまでの活動を支えたのである。

内蔵助は、高名な儒学者にして兵学者の山鹿素行の教えを受けた兵法の専門家であった。高田馬場の決闘で有名な堀部安兵衛を初めとする実力を備え、かつ信頼できる少数精鋭の戦士の選抜(藩士300余名中47名で討ち入りを実行)、豊富な資金を背景にした兵器の装備と厳しい軍事訓練、敵状や情勢の変化を探るための綿密な情報入手活動、世論を味方につけ、敵を欺くための諜報活動等に、内蔵助の統率力が遺憾なく発揮されたのである。特に、殿中の刃傷事件の真因が明らかでないのを逆手に取って、「賄賂を貪り、いじめを重ねる吉良上野介の仕打ちに堪忍袋の緒が切れた浅野内匠頭が刃傷に及んだ」という噂を江戸中にばら蒔き、世論を味方につけたことと、討ち入りがあると隣接する大名や旗本の屋敷は迷惑を被るという噂を煽り、討ち入りに有利な新興地に吉良邸が移転せざるを得ないように仕向けたことが、討ち入り成功に大いに役立ったのである。また、戦士の数でかなり劣勢な討ち入り軍の具体的な戦術は、先手必勝、3名1組のチームワーク(このチームリーダーは身分の上下を問わず実力で選抜)、一点集中の各個撃破であった。

内蔵助は、大まかで部下任せのタイプに見えて、実は細心であった。部下の運命を左右するリーダーは、念には念を入れる必要があるのである。吉良邸の向かいに米屋と古着屋を、その近くには薪炭店、剣術道場を開き、それぞれに部下を偽名で住み込ませたのである。これらの周到な吉良邸対策が後日、見事に功を奏するのである。

内蔵助は、周辺の町人・職人・農民階層の協力・支援を得る名人であった。義に感じた藩出入りの商人が命懸けで兵器の調達・運搬に奔走するなど、大いに助けられたのである。

「堀部武庸(安兵衛)筆記」などの史料を駆使して赤穂事件の史実に迫った『忠臣蔵――赤穂事件・史実の肉声』(野口武彦著、ちくま新書。出版元品切れ)も、「吉良邸討ち入り一党は、明確この上もない目的合理性を目指した戦闘機能集団であった」と認めている。