榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ダーウィンは何を間違えたというのか・・・【山椒読書論(199)】

【amazon 『「進化論」を書き換える』 カスタマーレビュー 2013年6月6日】 山椒読書論(199)

進化論」を書き換える』(池田清彦著、新潮社)は、チャールズ・ダーウィンの進化論に真っ向から反論している。ダーウィニズムと、その弟子たちが唱えたネオダーウィニズムは、進化の原因と結果を取り違えている、自然選択は進化の原因ではなく結果だ、と手厳しい。

「今日では、ネオダーウィニズムはダーウィンの自然選択説とメンデルの遺伝学が合体したパラダイムのことを指す。ネオダーウィニズムは、遺伝する形質の変異の原因はDNAの偶発的かつ無方向的な突然変異以外にはあり得ないと主張しているので、これ以外の原因で遺伝する変異が生ずるという説を何であれ獲得形質の遺伝説と称して、これを否定している」。しかし、もし、環境からのバイアスがDNAを方向的に変えるか、細胞質の状態を不可逆的に変えて、その結果、次世代の卵の初期状態を変化させることができるなら、獲得形質は遺伝すると言ってよいというのが、著者の主張である。

ここでいう獲得形質の遺伝というのは、親がテニスを練習して上手になったら、その子は生まれつきテニスが上手いか、といったレヴェルの話ではなく、細胞の内の微妙な高分子の化学的な変化が、細胞分裂を経て遺伝するかどうかといった話なのだ。

遺伝子の存在を知らなかったダーウィンはともかく、ネオダーウィニズムは、生物は遺伝子の突然変異と自然選択で進化したと主張する。遺伝子の突然変異だけが進化の原資でないとして、それでは、自然選択にはどれほどの力があるのだろうか。「ダーウィンが『種の起源』の中で、有利な変異の保存と有害な変異の棄却とを自然選択と呼ぶ、と述べているように、自然選択は生成されたものをセレクトするだけで生成する力はない。セレクトするという意味での自然選択はすべての生物の上に、いついかなる時でも働いている。なぜなら、すべての生物はある時点で、生き延びるか死ぬかのどちらかであるからだ」。

「新しい形態が出現してくることを進化と呼ぶ限りにおいて、内部選択(発生プロセスに起こる、生き延びるか死かという選択)も自然選択(=外部選択)も、進化の結果であって原因ではあり得ない。新形態の出現は常に選択に先行するからである。しかるに、ダーウィンもネオダーウィニストも、自然選択は進化の原因なのだという。変異の原因を知らなかったダーウィンはともかく、変異の原因は遺伝子の突然変異だと主張しているネオダーウィニストはいかなる理屈に基づいて、自然選択を進化の原因であると主張するのであろうか」と、その反論は明快である。

ダーウィンからネオダーウィニズムに至る自然選択を主因とする進化論が大進化(種間の進化、さらには高次分類群の大きな進化。一方、種内の小さな進化は小進化と呼ばれる)の理論を考えることができなかったのは、形態形成システム自体の変更こそが、進化にとって最大の要因であることに思い至らなかったからだ。この考え方のもと、近年、明らかになりつつある進化の真のメカニズム――環境によるエピジェネティックなDNAの制御が遺伝的に固定される――が、実証データを背景に分かり易く解説されている。