榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

身近な女性が見た寺山修司の真実・・・【山椒読書論(290)】

【amazon 『寺山修司と生きて』 カスタマーレビュー 2013年10月5日】 山椒読書論(290)

寺山修司と生きて』(田中未知著、新書館)――本の中に引きずり込まれるような感覚に襲われ、最後まで読み耽ってしまった。

著者は、寺山修司の秘書兼マネジャーとして、仕事仲間として、看病者として、「十六年半、ほとんど一心同体になって」、寺山を献身的に支え続けた女性である。寺山の死から24年間、沈黙を保ってきた彼女が、この書の中で思いの丈を語り尽くしている。

私が本書に惹きつけられたのには、3つの理由がある。第1は、田中未知の寺山への熱烈な愛の告白の書だからである。第2は、寺山の47年間の生涯に亘り、寺山を苦しめ続けた母・寺山はつへの怒りの書だからである。第3は、寺山の最後の主治医・庭瀬康二告発の書だからだ。

寺山は、常に彼を慕う女性たちに取り巻かれていたが、内縁の妻的存在であった著者の10歳年上の寺山に対する崇拝の念は群を抜いており、それは寺山の生前も死後も変わることがなかった。

「寺山は模倣者・剽窃者・虚言者だ」と主張する批判者たちに対しては、説得力のある反論を堂々と展開している。

母・はつの滅茶苦茶ぶりは、記述の端々からも十分窺えるだろう。「(はつが経営する喫茶店の)客がそこに居ても彼女(はつ)には関係がないのである。私の驚きは言葉にならなかった。情けなかった。息子(寺山)の書いた手紙を読もうともせずに、破り捨てたその紙を人の顔に思い切り投げつけるのだから」。「彼女を知って分かったことは、三ヵ月以上は平和に暮らしていられない性格だということである。何も問題がないと、決まって三ヵ月ほどすると自分で問題を作り出す。人と争うその闘争心が彼女のエネルギーを燃え立たせ、彼女をさらに元気にする」。「自分が面白くなければ、すぐに『週刊誌に電話してやる!』、それが息子に対する彼女の決まり文句であった。決まり文句が連発されているあいだは寺山も仕事に集中できない」。「もしも自分の思うような態度を息子が見せなければ、ただちに『自殺する。殺してやる。火をつけてやる。週刊誌に電話してやる!』と、無理難題をふっかける」。

また、はつが寺山に宛てた長い長い手紙の一節は、こんなふうである。「私を修ちゃん(寺山)は今度は有りもしない事を面白おかしく作りあげ自分の母はいかにだらしない女であるかのやうにさらし者にして自分だけを立派に作りあげ母をぶじょくしてネタにして賞をとってとくとくとしているのですよ、私はなぜ貴方にふくしゅうされなければならないのですか? 私はなぜ貴方のためにハヂをかかされなければならないのですか? かんしゃされるべきの母がなぜふくしゅうされなければならないのですか?・・・貴方は私から生まれた事をうらんでいるのですか そんなら死になさいよ、私がころしてやりませう」。

庭瀬は、寺山の死の直後に発行された「現代詩手帖・寺山修司臨時増刊号」収録の座談会の中で、このように語っている。「ぼくが『劇的な誤診』といった意味は、この時点で腹膜炎と診断出来なかったことです」。これに対する田中の舌鋒は鋭い。「どうしても口惜しさを払拭できない。『劇的な誤診』だって? 誤診に劇的なんて言葉を付けるところが、いかにも文学者くずれの医者ではないか。どうせ冠を付けたいのなら、『悲劇的誤診』、『喜劇的誤診』といろいろと試してみるがいい。・・・庭瀬医師は、『腹膜炎と診断出来なかった』だけではない。入院させるべきときをも『誤診』したのである。・・・これだけしゃべりまくりながら、庭瀬医師が『脱水症状』という言葉を一度も口にしていないことがどうしても気になる。庭瀬医師は『腹膜炎から敗血症』と言い、小笠原院長は『脱水症状のショック症状から敗血症』と言う。とすれば、腹膜炎と脱水症状の関係はどうなるのか。そもそも脱水症状はなぜ起きたのか」。この件については、著者はここで筆を止めているが、本心は、「強力な利尿剤を安易に処方して、脱水症状を引き起こした張本人は、お前だろう!」と、庭瀬を怒鳴りつけたかったに違いない。

さらに、庭瀬の人間性を疑いたくなるような記述がある。「彼(庭瀬)が(死が近い寺山の)病室に入って来て口にしたのは、信じられない一言だった。『いやー、生きた、生きた、充分生きた。啄木も二十七歳で死んでいるんだから』」。

才能に恵まれ、女性に囲まれていた寺山だが、その人生について複雑な思いを禁じ得ないのは、私が凡人だからだろうか。