榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

女性の恐ろしさを教えてくれた作品・・・【山椒読書論(302)】

【amazon 『被虐の系譜』 カスタマーレビュー 2013年11月4日】 山椒読書論(302)

私が女性の恐ろしさを思い知ったのは、現実の女性ではなく、『時姫の微笑』(南條範夫著、講談社文庫『被虐の系譜』所収。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能。ただし、amazonの著者名は南條範夫の本名・古賀英正となっている)によってであった。

時は戦国時代、場所は土佐国、群雄割拠する豪族の一人、天竺左衛門太夫の正室が生んだ満姫・照姫の姉妹、側室の連れ子・時姫は、いずれも美貌を謳われていた。「時姫がただに美貌であった許りでなく、非常に怜悧であった事は、二人の異母姉と共に住みながら、何ら嫉視される事なく、むしろ、大いに親愛された点だけでも推知し得るであろう。時姫は、自分の母於禰の方が、高貴な公卿の出でもなく、又、左衛門太夫の正室でもないと言う身分を充分に弁えて、二人の姉に対しては、殆ど侍女の如く恭謙に仕えた」。

諍いが起こり、天竺氏は長曽我部信濃守国親に滅ぼされ、照姫と時姫は長曽我部に囚われてしまう。国親の嫡男・弥三郎元親に見染められ、恋仲となった照姫に、時姫が、城を出て、一時、身を隠すことを勧める。「国親の殿は、元親さまを、激しい合戦の場に追いやって、殺しておしまいになる積りなのではないでしょうか」、「照姫さま、あなたが原因なのです」、「国親さまは、あなたから元親さまを引き離してしまいたいのです。あなたが、余りにお美し過ぎるからいけないのでしょう」。

城を脱出した二人は、本山式部少輔茂辰の部下に捕らえられ、本山城に引き立てられる。二人を見た茂辰は、「わしのものになれ」と二人に要求する。この難局を打開すべく、時姫は自ら進んで、茂辰の寵を受けたのである。その夜、時姫が茂辰に、照姫は労咳(結核)を患っていると告げたため、照姫は城内の人質櫓に隔離されてしまう。

「時姫は、毎日必らず照姫を見舞って、力づけた。己れの身を犠牲にしてまでも、自分を守ってくれた時姫に対して、照姫は言葉の限りをつくして感謝した」。そして、優れた医師をという時姫の要求が受け容れられ、明人の王敬という男が照姫の治療に当たることになった。

やがて、本山氏は長曽我部氏との戦いに敗れ、潰滅してしまう。「この合戦は、いわゆる長浜合戦として、長曽我部家の四国平定史上、劃期的な意義を持つものであったが、この合戦に於て、二つの事件が人々を愕かせた。その一は、国親の急死である。・・・第二の事件は、この合戦の間に、元親が、突如、万人の眼を愕かす変貌ぶりを見せたことである」。「柔弱怯懦、姫若子と綽名されて、父からは冷笑され、家中からも軽侮されていた元親」の四国統一に向けた快進撃が、ここから始まるのである。

元親が、照姫たちが軟禁されている建物に急き込んでやってきた。「(照姫が)『元親さま』と叫びながら、走り寄った。元親の眼が巨きく開き、名状し難い驚きが、殆ど恐怖に近い異常さを以て、その瞳の中に閃いた。『照姫? ――照姫か、そなたが』『元親さま、お久しゅうござります』 胸許に迫ってくる照姫から、元親が一歩、からだを退いた」。

「髪は半近く抜け落ち、皮膚の色は蒼黒く沈み、全く艶を失って、ぶつぶつと小さな穴さえ無数に見える――(元親の)頭の中にくっきりと残っていたあの輝き匂うばかりの照姫とは、似ても似つかぬ女」。

「照姫の(元親に会えないのなら、せめて時姫に会わせてほしいとの)願いが、漸くかなえられて、時姫と格子越しに対面を許されたのは、十日ほども経ってからであった。『時姫、一体どうした事でしょう。私は、そんなに醜くなったのでしょうか。何としても、もう一度だけ元親さまにお目にかかって、お心の中を伺いたい、会わせてたもれ』 照姫が、必死の思いで嘆願した時、時姫は全く夢想もしなかった事を答えたのである。『無駄なことじゃ。およしなさるがよい、照姫。あなたは醜い。女子の私がみても、嘔気がするほど醜くなられた。私が、そうしてやったのじゃ』。この後、理解を超える言葉に茫然としている照姫に、今や元親の側室となった時姫の口から、無惨な事実の数々が冷ややかに告げられる。

この短篇を若い時に読んでいたおかげで、美しく恐ろしい女性には、できるだけ近づかないように心がけ、今日に至っている。