榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

中山道の宿場の食売女の実態とは・・・【山椒読書論(385)】

【amazon 『軽井澤三宿と食売女』 カスタマーレビュー 2014年1月13日】 山椒読書論(385)

軽井澤三宿と食売女』(岩井傳重著、櫟<いちい>。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)では、江戸時代、中山道随一の繁栄を誇った追分、沓掛(中軽井沢)、軽井沢の宿場の食売女(めしもりおんな)の実態が明らかにされている。

因みに、浮世絵「木曽街道六拾九次」の追分、沓掛は渓斎英泉が、軽井沢は歌川広重が描いている。

夜の女、すなわち宿場女郎といわれた食売女は、「近世江戸時代交通史上の異色ある変容的な宿場の存在であった。彼女たちは封建時代に百姓町人が農奴的境遇に置かれた暴政の犠牲となって、宿場のボスでもある者のために旅籠屋(はたごや)で人身御供同様の生活をして青春を送り、一生を終えたもので、多くの悲惨な物語が残されている」。

「(食売女の)ほとんど全部と見られる多数者は年貢諸夫銭の上納に窮し、或は凶作異変のため生活のどん底に追い込まれて生死の境を彷徨する一家は、急を救うための借金を最も簡単に手早く出来るこの食売女に求めた。それらの人々で宿に来る者は家内一同相談承知の上で、父親または母親に或は兄に或は両親に連れられて来た。また一家全員同道の廻国巡礼の途、或は善光寺参りの途に、父または母が突如、発病して医薬代や路用金に窮し、全く路頭に迷うて旅籠屋に哀願して食売女になった憐れな境遇の者など、年令もさまざまで3~4才の幼女から娘盛りの者まである。・・・急場を凌ぐために身を切られる思いで、愛し子を手放し悄然と立ち去る憐な親たちの姿が思いやられる」。