榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本にも、シートンに劣らない動物文学が存在しているぞ・・・【山椒読書論(447)】

【amazon8 『高安犬物語』 カスタマーレビュー 2014年5月28日】 山椒読書論(447)

アーネスト・トムソン・シートンの『私が知っている野生動物』(いわゆる「シートン動物記」)に収載されている「ロボ――カランポーのオオカミ王」などに興奮した経験を持つ人が多いと思うが、日本にもこれに劣らない動物文学が存在することを知っているだろうか。

高安犬物語』(戸川幸夫著、新潮文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)が、それである。

物語は、「チンは、高安犬(こうやすいぬ)としての純血を保っていた最後の犬だった、と私はいまもって信じている。高安犬というのは山形県東置賜郡高畠町高安を中心に繁殖した中型の日本犬で、主として番犬や熊猟犬に使われていた。中型の日本犬とはいっても紀州犬やアイヌ犬のようにスマートな、女性的なのと異なって、犬張子を思わせるガッチリとした体つきの、戦闘的な狩猟犬(またぎいぬ)だった。熊を追って幾日も幾日も雪山を彷徨出来る強い耐久力と、相手が斃れるまで食い下る激しい闘魂、鼻を?ぎとるような寒風の中から熊の体臭を嗅ぎわける鋭い感覚――こういった類のない特徴を持った狩猟犬だった」と始まる。

山形の旧制高校生であった私(語り手)は、純血の高安犬が残存しているという奇蹟を信じて、県下の山村僻地で探し回る。遂にチンという名の戦闘能力抜群の高安犬に巡り合うが、飼い主は熊猟の名人ではあるが偏屈な吉(吉蔵)という猟師であった。「吉にとってチンは生命の一部だった。チンの優秀さに眼をつけた狡猾な犬商人たちも吉に取りつくことは出来なかった。吉は犬を売る仲間を魂を売る奴だと軽蔑しきっていた」。「この犬からこれ程までに慕われている吉がうらやましくてならなかった。異性に対して感じるような嫉妬を犬に対して感じたのは後にも先にもこの時だけだった」。

私と散歩中のチンが大きな土佐犬――東北闘犬界でずっと横綱を張り続けている「頼光」――と行き合った時の息詰まる展開は、圧巻である。「強い喧嘩犬は弱い相手は問題にしない。その代り、自己に対して少しでも対抗意識を示した相手は絶対に容赦しない。頼光はチンの様子をじっと注視していた。彼はチンが雪路の端に不安そうに立ち止っている主人(私)の後に尻尾を巻いて這いつくばるか、それとも一目散に逃げ去るに違いないと計算していたようだった。それならば見逃してやろう、闘犬界の横綱はそれくらいの寛容さは持ち合せていた」。

ところが、全然恐れ入らないチンに怒った頼光は、いきなりチンに襲いかかる。「いくらチンが熊と闘い慣れているとはいえ、この相手は闘争を専門とする喧嘩犬だった。食いついたら相手を斃すまでは決して止めない獰猛な土佐犬なのだ」。

「チンのあの小さな体躯からどこにあんな力が湧き出るのかと驚かされるほど彼は自己の二倍以上もある頼光の巨大な体をくわえて右や左に激しく振り回した。・・・頼光は生れて初めての屈辱の悲鳴を弱々しくあげた。それは横綱の誇りも、自信も、何もかもをうち捨てた悲しい降伏だった。悲鳴を聞くとチンはパッと放した」。いいぞ、チン、よくやった! このとおり我が戸川はシートンに負けていないぞ。