榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

人生で一番大切なものは愛ですか・・・【続・独りよがりの読書論(9)】

【にぎわい 2008年6月20日号】 続・独りよがりの読者論(9)

人生で一番大切なものは愛なのか、このことを探る旅に出よう。

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滝口入道』(高山樗牛著、岩波文庫。出版元品切れ)は、「栄華の夢早や覚めて、没落の悲しみ方(まさ)に来りぬ」といった華麗な文体で綴られる、平家物語に材を取った作品。応えてくれぬ恋しいあの女(ひと)のことを思い切るために、出家の道を選んだ若武者。その噂を耳にし、それほどまでに私を思っていてくれたのかと、居ても立ってもいられず男の庵を訪ねる女。

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歴史をさわがせた女たち 日本篇』(永井路子著、文春文庫)の中の「静御前――レジスタンスの舞姫」の項はわずか6ページに過ぎないが、源義経に愛された白拍子・静御前の凛とした生き方が印象深く描かれている。義経は平家を全滅させた軍事的天才であるが、兄・頼朝と不仲になり、都を落ちていく。吉野山中で義経一行と別れた静は捕らえられ、鎌倉に送られて厳しい訊問を受ける。そして、静は当代随一の舞姫としてその名が高かったため、頼朝・政子夫妻の前で舞うことを強要される。

この時、鶴岡八幡宮の廻廊(舞殿はこの7年後の造営)で、静が舞いながら歌ったのが有名なこの歌である。
よし野山みねのしら雪ふみ分て
いりにし人のあとぞこひしき
言うまでもなく、義経を慕う歌である。
しづやしづしづのをだまきくり返し
昔を今になすよしもがな
どうぞ今一度、義経様の栄える世になりますように。
2首の歌には義経を思う静の心情がほとばしっている(歌の表記は『吾妻鏡』に拠った)。

もちろん、この大胆な振る舞いは頼朝の怒りを買うが、静は自分の最愛の人を苦しめている、時の最高権力者に抵抗の気概を示したのである。このシーンを思い浮かべると、いつも、その心意気に拍手を送りたくなってしまう

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愛の妖精』(ジョルジュ・サンド著、宮崎嶺雄訳、岩波文庫)は、年下のショパンとの恋愛で知られる、恋多き女、ジョルジュ・サンドの田園小説。不器量で育ちが悪く皆の嫌われ者だった村娘が、ある日突然、気立てがよく頭のよい美しい娘に変身する。このヒロインは著者がモデルといわれている。

「私は恋愛を、美しい感情と美しい思想とによって私どもを高めてくれる気高い情熱であると思っています」とサンドは言っている。

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』(森鴎外著、岩波文庫)は、明治10年代の東京のしっとりとした情感が漂ってくる作品。親のために高利貸しの妾になっている、貧しいけれど美しい娘。いつも窓の外を通るあの医学生がこの境遇から救い出してくれるかもしれない。思い切ってあの人を家に招こうと、娘は決心する。

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美は乱調にあり』(瀬戸内晴美著、角川文庫。出版元品切れ)と『諧調は偽りなり』(瀬戸内晴美著、文春文庫。出版元品切れ)は、大正12年の関東大震災の混乱に乗じた甘粕憲兵大尉の手によって、無政府主義者・大杉栄、その6歳の甥とともに虐殺された伊藤野枝(享年28)の愛と死が描かれている。

10歳年上の大杉を巡る妻・保子、神近市子との四角関係を経て、常に大杉と行動を共にするようになった野枝は、人を愛することにおいて、誰も敵わないほどひたむきな女性であった。野枝が手紙に記した「今の世の中の権力者を敵にする私共の生活」は、常時、数人の警官に見張られ、尾行されるという、文字どおり危険と背中合わせのものであった。全世界を敵に回そうと大杉との愛に殉じようと覚悟を決めていた野枝は、事実、そのとおりの運命を辿ったのである。

愛する人と価値観を共有できることほど幸せなことはない。価値観を共有することは、人生を共有することだからである。誤解を恐れずに敢えて言えば、最愛の大杉と共に闘い、共に死んだ野枝は、その最期にも拘わらず、この世で一番幸せな女性だったのではないだろうか。

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時雨の記』(中里恒子著、文春文庫)では、「たかが海岸へ行くといふのに、まっ白な足袋にはき代へる」ような40過ぎの女と、妻子ある50過ぎの男の大人の恋が描かれる。自分のことを思ってくれる人がいる幸せ、この人のそばで死にたいと思える幸せ。恋が若者たちだけの特権ではないということを、この作品がそっと教えてくれる。

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コルシア書店の仲間たち』(須賀敦子著、文春文庫)は不思議な雰囲気の本である。第2次世界大戦の混乱の中で、イタリアのミラノにコルシア書店という一風変わった書店が店開きする。この書店は、司祭にして詩人であるダヴィデという魅力的な指導者と、その仲間の若者たちの手によって運営されていく。「狭いキリスト教の殻に閉じこもらないで、人間の言葉を話す場を作ろう」という目的で始められた書店は、教会当局から目の敵にされ、その執拗な圧迫にさらされ続けることになる。

この本は、「黒い修道衣を旗のようになびかせてさっそうと歩き、滝のように笑う」ダヴィデに惹かれて、1960年から11年間に亘りこの書店の活動に参加することになった著者が、20年の歳月を経て、当時の仲間たちを偲びつつ書き上げた追想の書である。

そこには人との出会いがあり、人との別れがある。感傷を排した簡潔な文体で、それぞれの個性と事件が生き生きと描かれているので、自分もコルシア書店の一員になったような気分にさせられてしまう。そして、行間から、ミラノの石畳を歩く登場人物たちの足音が聞こえてくる。