ハンディキャップを撥ね除けた上杉鷹山の経営改革・・・【リーダーのための読書論(22)】
「あなたが最も尊敬する日本人は誰か」と日本人記者団から質問されたとき、ジョン・F・ケネディ大統領は「ウエスギヨウザン」と答えたという。
この上杉鷹山とはどのような人物で、彼の何がそんなに魅力的なのであろうか。鷹山の独自の発想と行動を学ぼうとするとき、『上杉鷹山の経営学――危機を乗り切るリーダーの条件』(童門冬二著、PHP文庫)は見逃せない一冊である。鷹山は今から240年ばかり前の米沢(現在の山形県米沢市)藩主である。上杉家は上杉謙信以来の名門であるが、当時は財政破綻状態に陥っており、藩の存続も危ういほどであった。高鍋(現在の宮崎県児湯郡高鍋町)の秋月家という三万石の小大名の次男に生まれ、上杉家の養子として17歳のときに藩主の座に就いた治憲(後の鷹山)は、やがて見事に藩財政を立ち直らせ、目覚ましい行政(経営)改革を成し遂げてしまう。江戸時代は幕府や各藩によって財政立て直し、藩政改革が盛んに試みられたが、そのほとんどが失敗に帰しており、鷹山のケースは珍しい成功例、それも際立った成功例と言える。
それにしても、他家から養子に入った、年が若い、経験も実績もないといった多くのハンディキャップを負った鷹山が、至難の業に見えた仕事をかくも鮮やかに成功させることができたのはなぜか。企業の最高幹部だけでなく、小さな組織・グループのリーダーにとっても、鷹山の発想と行動の軌跡を辿ることは時代を超えて意味を持つと思う。
この日本人の間でもそう有名とは言えない鷹山を、ケネディは何で知ったのだろうか。英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三著、鈴木俊郎訳、岩波文庫)をケネディが読んだということは十分に考えられる。内村鑑三が、この本の中で、世界に誇れる日本人の代表として、西郷隆盛、鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を取り上げていることに共感を覚える。
内村は札幌農学校(現在の北海道大学)で、あの”Boys be ambitious.”(青年よ、大志を抱け)という別れの言葉で有名なウィリアム・スミス・クラークの感化を受けた学生の一人である。このクラークというのが実に不思議な人物で、日本で学生たちに接したのはわずか8カ月だというのに、内村、新渡戸稲造らに深い影響を与えている。しかも内村らは二期生で、クラークから直接教えを受けた一期生ではないというのだから、その影響力たるや恐るべきものだ。
教育というものを考えるとき、クラークと吉田松陰は、私たちを勇気づけてくれる驚異の教育者である。人を育てる決定的な因子は、「知識」や「期間」ではなく、「情熱」なのだ。
『クラークの一年――札幌農学校初代教頭の日本体験』(太田雄三著、昭和堂。出版元品切れ)で、クラークの考え方と行動を、『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著、教文館)で、一期生として直に指導を受けた大島の感動的な体験を、『クラークの手紙――札幌農学校生徒との往復書簡』(佐藤昌彦、大西直樹、関秀志編・訳、北海道出版企画センター。出版元品切れ)では、クラークと学生たちとの心の通い合いを、そして、『W・S・クラーク――その栄光と挫折』(ジョン・M・マキ著、高久真一訳、北海道大学図書刊行会)によって、日本と米国におけるクラークの波瀾に満ちた生涯の全体像を知ることができる。
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