榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

禅語を通じて、老いに上手に対処する生き方を考えてみよう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(407)】

【amazon 『老いを超える生き方』 カスタマーレビュー 2016年6月4日】 情熱的読書人間のないしょ話(407)

千葉・野田の「こうのとりの里」から放鳥されるコウノトリの幼鳥たちをカメラに収めようと2時間ほど粘ったのですが、羽ばたくものの一向に飛び立つ素振りを見せません。しかし、爽風が吹き抜ける中、コジュケイ、ウグイス、トウキョウダルマガエルの鳴き声を聞きながら、ショウジョウトンボ、コシアキトンボ、ベニシジミ、モンシロチョウが飛び交う水田の自然を楽しむことができました。溜め池では、スイレン、ハナショウブが咲いています。因みに、本日の歩数は10,953でした。翌6月5日付・朝日新聞によれば、私が諦めた1時間後に2羽とも飛び立ったそうです。

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閑話休題、『老いを超える生き方――禅的人生の英知』(枡野俊明著、さくら舎)は、老いを感じている私たちにいろいろなヒントを与えてくれます。

「すぐそこにある(のが)幸せか不幸せかを分けるもの」では、「春色無高下 花枝自短長(しゅんしょくこうげなく かしおのずからたんちょう)」という禅語が挙げられています。「自分の個性に合わせて精いっぱい育てばいい、花開かせればそれでいい、とこの禅語はいっています。・・・この禅語を人生に照らしてみるとこんなことがいえそうです。老いというのはどんな人にも平等にやってくる。しかし、老いをどんなふうにとらえ、それをどう生きていくかは、それぞれの人にまかされている。資金が潤沢にあり、悠々自適な老後生活もあれば、年金に頼るつましい老いの暮らしもあるでしょう。前者が幸せ、後者が不幸せだと思いますか? 断じてそんなことはありません。幸せか、不幸せかを決めるのは、それがどんな環境であれ、そこで精いっぱいにやっているかどうかです。裕福な生活であっても、それが贅沢にひたるだけで、生きている実感の乏しいものだったら? つましい暮らしでも、それが日々、一所懸命に生きていて、心の安らぎを感じられるものであったら? どちらが幸せであるかは、あらためていうもでもないでしょう」。

「閑坐看山河(かんざしてさんがをみる)」と「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」という禅語を引いて、「ひとり静かに過ごす時間がもたらす恵み」が説かれています。

「こういう贅沢な時間を持ちたい」という人向けに、「閑遊雪月花(せつげつかにかんゆうす)」と「融通無碍(ゆうずうむげ)」が紹介されています。

「一期一会(いちごいちえ)」の精神、すなわち、「そのとき、一度かぎり、という意識を持って人と接していく」ことの大切さが強調されています。

「一行三昧(いちぎょうざんまい)」と「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語を通じて、「『遊び心』を持って朝を始める」ことを勧めています。「人生の経験が豊富で、たいがいのことはやってきた、という思いがあると、何をやっても、『まあ、こんなもの』という気持ちになりがちです。暮らしから感動が薄れる。ちょっとやそっとのことでは感動しなくなるのです。遊び心の大敵がそれです。わくわく、うきうき、どきどき・・・といった感動は、遊び心に直結しています。・・・朝、起きたら、『ああ、気持ちがいい朝だなぁ。今日もいい日が迎えられた。ありがとう!』と心のなかでいってみるのです。・・・さあ、わくわくして散歩に出かけてください。うきうきと趣味の時間を過ごしてください。どきどきしながら人と語らってください」。他の教えはともかく、この朝の心の持ち方だけは実行できているので、ホッとしました。