榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

乙巳の変、大化改新、壬申の乱の真相に、松本清張が迫る・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1151)】

【amazon 『壬申の乱――清張通史(5)』 カスタマーレビュー 2018年6月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(1151)

散策中、農家の人がジャガイモを収穫しているところに出くわしました。教えてもらい、「とうや」という品種と分かりました。収穫する人のいないウメの実がたくさん落ちています。因みに、本日の歩数は10,477でした。

閑話休題、松本清張は卓越した推理作家であるだけでなく、日本古代史の研究者としても大きな功績を残しました。彼の古代史研究の方法は、誠に理に適ったものでした。掲げたテーマについて、先行研究を渉猟し、それらの主張を比較検討して、A説、B説、C説・・・と論点を交通整理した上で、自らの考察を加えて自説を表明するというスタイルをとっているからです。

壬申の乱――清張通史(5』(松本清張著、講談社文庫)のテーマは、●乙巳(いっし)の変(大化のクーデター)の背景とは、●大化改新の実態とは、●『日本書紀』が敢えて記さなかった壬申の乱の真相とは――の3つです。

清張は、乙巳の変→大化改新→壬申の乱→天武天皇・持統天皇による律令国家への歩み――という一連の出来事の因果関係を重要視しています。

乙巳の変に先行する聖徳太子の時代について、こう記されています。「わたしは聖徳太子の施政とされているものは、ほとんどが大臣蘇我馬子の政治だったと考えている。敏達・用明・崇峻・推古朝を通じ、その死まで54年間も執政だった馬子を無視して太子になにほどのことができたろうか。太子の摂政といっても、後代の官制化した摂政とは性格が違い、いわば推古女帝のもとでの天皇見習いであった。といよりも、むしろ馬子の執政見習いであった。なぜなら、女帝の政治は馬子の政治だったからである。(日本)書紀が蘇我氏を異常なほど悪逆扱いしたため、馬子の政治上の業績を抹殺してこれをみな太子の功に転移してしまったのである。それには、(藤原)不比等が父の(藤原)鎌足を書紀の編者にもちあげさせるために、その対立者である蘇我氏を必要以上に悪逆者にしてしまったことと、太子信仰に乗っていることとがある。太子の『聖者』ぶりは、その伝記と同じく、法隆寺の僧侶団が造ったことである。たぶん十七条の憲法も書紀のつくりごとであろう」。

乙巳の変の背景について。「土地の占有率において『天下を二分』した蘇我氏の強大な経済力にたいして天皇家は最後の決戦に出た。それも乙巳のクーデターのような奇襲に出た。このままじっとしていれば天皇家はジリ貧に追いこまれるからだ。このように中大兄皇子(後の天智天皇)らに代表される天皇家と蘇我氏との争いは、土地争いによる経済戦争である。蘇我氏の専権が天皇に無礼だったとか不忠だったとかいうのは後世になっての書紀の造作である。『蘇我氏の専権』というが、当時は蘇我馬子が天皇代行として内治・外交をとりしきっていた」。

大化改新の実態について。「大化改新はあまりにも常識化しているが、中央集権的な官司制度は、蘇我氏が前から豪族連合である氏族制度のもとで実質的に進めていたもので、天智とその側近は、それを横どりしたにすぎない。大化改新の地ならしは、このようになしくずしに氏族制度を官司制度にきりかえつつあった蘇我氏によるものであり、その意味で、馬子の執政時代は『プレ・大化改新期』といえる。蘇我氏の開明性・進歩的文化性は、古代の氏族社会を近代的な官僚制度に脱皮させた。これに天智・天武による律令制度が継ぎ足されて完成する。馬子の執政軌はまた『プレ・律令期』ということができる」。いかにも清張らしい、スケールの大きな史観です。

「国家統治の基礎である律令を定めた不比等が、同じく国家の史的理念となる『日本書紀』に無関心でありうるはずはない。・・・書紀に大化改新で神祇伯中臣鎌子を活躍させ、これを国家の柱石藤原鎌足にしたのは、不比等が編者にそう書かせたと考えられる。それが直接的な指示でないにしても、彼が修史局にそう示唆したであろうことは、不自然な推測ではない」。

壬申の乱について。「わが子大友(皇子。24歳)には大海人(皇子。天智の弟)というおそるべき敵がいる。漢文化に傾倒するひよわな文学青年型の大友に、天智がじぶんの眼のふさがらないうちに即位の手つづきをふませたいのは、(豊臣)秀吉と(豊臣)秀頼の例をみるまでもなく、切実な人間心理だ。大友と5重臣との誓盟は、死に臨んだ天智の事実上の譲位であり、大友の即位であったろう。大友にそれを断る自由はなかった。まして次の皇位が大海人か大友かの2人しかないとき、一方に大海人は吉野に引っ込んで自ら皇位継承の資格を放棄したのだからなおさらである」。長年に亘り、大友即位説、大友非即位説が議論されてきたが、清張は大友が即位して大友天皇になったという説に軍配を上げているのです。

「書紀に大友即位の記事がないのは、やはり天武の子の舎人親王が、この編修の最高責任者であったこと、書紀編纂がまさにその天武の存命中に発意され、天武系の元正天皇のときにそれが完成したことに原因すると思う。だいいち壬申の乱の段階での書紀の記事が、大海人の側からのみ書かれているのは、書紀編修局(長官は舎人親王)にその意図的な方針があったからである」。大海人が壬申の乱という謀反・叛乱を起こし、大友を自殺せしめ(あるいは殺害し)、大友から皇位を簒奪して天武天皇になった事実を隠そうとしたのです。

清張の論理的な考え方を再認識させられる一冊です。