榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『古事記』・『日本書紀』が地方の神話を取り込まねばならなかった理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(549)】

【amazon 『神話で読みとく古代日本』 カスタマーレビュー 2016年10月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(549)

今日は庭から漂ってくるキンモクセイの甘い香りが一段と強いなと思ったら、こんなにたくさん花を付けていました。散策中に出会ったハナオクラ(トロロアオイ)は、3mも伸びて風に揺れています。因みに、本日の歩数は10,023でした。

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閑話休題、『神話で読みとく古代日本――古事記・日本書紀・風土記』(松本直樹著、ちくま新書)は、『古事記』と『日本書紀』に記されている神話の成り立ちに鋭く迫っています。

著者は、『古事記』・『日本書紀』の建国神話の素材として民間で伝承されていた神話が利用されたというのです。

建国神話は、なぜ皇祖アマテラスを唯一絶対の神とはせずに、スサノヲやオホナムチ(オホクニヌシ)を登場させたのでしょうか。「スサノヲは出雲の国の特定の範囲で信仰されていた地方の有力神であったと推測できる。出雲国風土記のスサノヲは、素朴な『須佐の男』の姿を見せていた。古事記と日本書紀の神話に見られる猛々しい性格は、『須佐の男』を『すさぶ男』と意味づけなおしたものであろう。中でも神話を一本化する古事記は、スサノヲをひとつの神格として、内部で破綻させることなく描くことに成功している。『貴』い武勇の英雄でありながら、統治者として不適当なスサノヲは、アマテラスの引き立て役となり、アマテラスに代って地上の怪物を退治する。地方の有力神はこのように取り込まれ、利用されたのである」。

アマテラスの子孫としての天皇が国の統治者となる建国神話の筋書きの中で、スサノヲの子孫であるオホクニヌシ(大国主)という名の国土の支配神はどのように位置づけられたのでしょうか。「●オホクニヌシは大和王権の神話が作り出した新しい神格である。●スサノヲとオホクニヌシ(オホナムチ)との直系の系譜関係も、同じく大和王権の神話が作り出したものである」。「建国神話がオホクニヌシを作り出した目的は、皇祖に国土全体の支配圏を譲り渡す神を用意することにあったと思われる。つまり確かな国主を一人置くことによって、確かに国の全部が皇祖に献上されたと言うためである。オホクニヌシが何の謂われもない神であったならば、オホクニヌシから譲られた権利さえ、根拠がなくなってしまうだろう。それにしても、少々複雑ではないか。初めから国の全てを皇祖神が創造し、支配していたと言えばよいのではないだろうか。極端なことを言えば、アマテラスこそ唯一神であり、その子孫が天皇だと言ってしまえば済みそうなものである。だが、実はそうはいかない事情があったのだ」。

それは、どういう事情でしょうか。「古事記・日本書紀が神話を要したのは、本来の神話が、人の生死や、宇宙の成り立ちなどを決定し、社会を規制する力を持っていたからに相違ない。そうした神話の規制力、本書でいう『神話力』が必要だったのだ。そこで、民衆の間で伝承されていた神話の型を用いたり、地方の神々の信仰や神話を利用したのではないだろうか」。

本書によって、『古事記』・『日本書紀』の神話は、天皇を中心とする大和王権の由来と正当性を主張するために作られたものであることが明らかになりました。すなわち、アマテラスの子孫である皇祖が国を支配し、それを受けた神武天皇以下の歴代天皇が天下を統治していくことに文句を付けさせないぞ――と、はったりをかませているのです。