榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「朱の王国」だった邪馬台国と、ヤマト王権の関係とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1284)】

【amazon 『邪馬台国は「朱の王国」だった』 カスタマーレビュー 2018年10月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1284)

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閑話休題、『邪馬台国は「朱の王国」だった』(蒲池明弘著、文春新書)は、朱という鉱物の観点から邪馬台国とヤマト王権を考えようというユニークな試みの書です。

「邪馬台国とヤマト王権。日本の歴史のはじまりに見えるこのふたつの古代国家は、朱(辰砂)という鉱物の採掘とその輸出によって繁栄した『朱の王国』だった――。・・・天然の朱は、赤色の塗料であるとともに、薬品の素材であり、防腐剤、防虫剤としても利用されていました。水銀と硫黄の化合物が朱(硫化水銀)ですから、加熱して硫黄を分離すれば、水銀を得ることができます。古代中国において朱と水銀は、不老不死をねがう神秘的な薬品いわゆる仙薬の主原料として珍重されました。朱は火山活動の産物ですから、火山列島である日本の各地で採掘され、中国や朝鮮半島に輸出された歴史があります」。

邪馬台国と朱について。「中国の正史『三国志』所収のいわゆる『魏志倭人伝』は、邪馬台国についての最初の記録で、ほぼ同時代の3世紀後半に書かれたといわれています。そのころ、日本列島にまとまった朱産地があることが大陸の文明国によって『発見』され、東アジア世界の交易システムに組み込まれた形跡があります。朱の歴史をかんがえるうえで『魏志倭人伝』が重要であるのは、日本列島の朱産地を記録した最初の文献でもあるからです。・・・『魏志倭人伝』は、日本列島に産する朱(硫化水銀)を『丹』であらわしています」。『魏志倭人伝』には、「朱丹を以てその身体に塗る」、「真珠・青玉を出だす。その山には丹あり」と記述されています。

また、弥生時代の墳墓である福岡県糸島市の平原遺跡1号墳、通称『平原王墓』の発見直後の様子が、「その附近一帯は、棺内にあったものと思われる朱(硫化水銀)で色づいている」と証言されています。

さらに、興味深いことに、伊都国は「朱の文化の発信地」であった可能性があるというのです。「邪馬台国は『朱の王国』であったという仮説の延長線上にあるアイデアではありますが、伊都国が『朱の輸出拠点』であったとすれば、とてつもない(伊都国の)経済力を説明できる」としています。

邪馬台国とヤマト王権との関係について。「邪馬台国の年代は2世紀から3世紀で、奈良を都とした最初の統一国家(ヤマト王権、大和朝廷)はそのあとの時代ということになります。邪馬台国とヤマト王権との関係をどう見るか。これについては、邪馬台国とヤマト王権は別の場所にあって没交渉だったと見なすことも可能ですが、歴史的な関係をもっていたと考える人が少なくありません。邪馬台国の所在地論争もからみ、さまざまなことが言われていますが、以下の3つの説に大別できそうです。①邪馬台国はヤマト王権との戦いに敗れて滅亡した(戦争説)、②九州にあった邪馬台国が奈良に移動してヤマト王権となった(東遷説)、③邪馬台国は奈良で誕生した国家で、それがヤマト王権になった(同一国家説)」。

「上記3つの説を朱の古代史として見るならば、①朱の鉱床をめぐる利権争い、②九州の朱の鉱床の枯渇にともなう奈良への移動、③奈良の朱産地の絶対的な優位性――と解釈できそうです。本稿の目的は3つの説のどれかを立証するものではないのですが、朱という鉱物をキーワードとすることで、邪馬台国とヤマト王権の連続性、共通性を探ってみようとしています」。

邪馬台国所在地論争について。「箸墓古墳という名の前方後円墳を卑弥呼の墓とする見解は、現時点においても仮説というべきものですが、邪馬台国が『朱の王国』であれば、最大の朱産地のお膝元に卑弥呼の墓があることは理屈にかなっています。箸墓古墳の所在地は箸中長者の伝説地でもあるのですから、卑弥呼は日本列島を代表する『女長者』であった可能性もあります。しかしその一方で、『朱の王国』としての邪馬台国という仮説を考えるとき、朱の採掘よりも、その『交易』を重視するならば、邪馬台国九州説はにわかにリアリティを帯びてきます。奈良に次ぐ朱産地であることに加え、その積み出し港という重要な役割を担っていたことになるからです。鉱床の規模としては奈良に劣るとしても、朱産地の数でいえば九州ほど多い地方はありません。輸出先である中国、朝鮮半島に近いのですから、こちらに卑弥呼の王宮があり、交易や外交を差配していたということも十分にありうる話です。朱を軸にすえた視点でも、邪馬台国は奈良であるとも、九州であるとも考えられるのです」。

著者自身が、本書は仮説に基づく一種の思考実験と述べているが、知的好奇心を掻き立てられる一冊です。