榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

バルザック、スタンダール、ディケンズを読む愉しみを味わったことがない君へ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1406)】

【amazon 『「作家の値打ち」の使い方』 カスタマーレビュー 2019年2月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(1406)

我が家から程近い梅林は真っ白に染まっています。カンヒザクラ(ヒカンザクラ)が蕾を付けています。セイヨウアブラナ(ナノハナ)が黄色い花を咲かせています。因みに、本日の歩数は10,872でした。

閑話休題、『作家の値うち」の使い方』(福田和也著、飛鳥新社)に収められている、福田と鹿島茂との対談「作家を『格付け』してなぜ悪い――内向きの文壇を開くために、いまこそ真の批評を!」では、興味深いことが語られています。

●鹿島=(書評では)「写す」ことも大切です。書評で取り上げた作品の文章を一部引き写すことで、筆者の文章のうまいへたがよく見えてきます。つまり、文章を引用することで筆者がどこで息継ぎをしているかがわかってくる。落語家でも息継ぎのへたなやつの落語は聞けたものではないけれど、見事な息継ぎの落語は笑う以前に聞いていて心地よくなりますよね。かつて伊藤整が梶井基次郎に「文章をうまくするにはどうすればいいのですか」と尋ねたときに、梶井基次郎が「気に入った作家の作品を写してごらん。そうすると呼吸が身につく」と答えています。

●福田=小林秀雄にも似たような「挫折」がありました。作家志願で詩人と称したこともあった小林は中原中也に出会ってしまう。垢抜けない田舎者の中也の愛人だった長谷川泰子を最終的に奪い取った小林も、詩作については中也の才能の前になすすべがなかった。結局、小林は自分の拠って立つところに窮し、批評家へとシフトしていくわけです。・・・●鹿島=批評家が、そして批評が誕生する流れについてはバルザックも『幻滅』で鮮やかに描いています。・・・「こいつをどうしても潰さなければならない」というひがみにも似た感情が芽生えてくる。その感情が爆発したときこそ、きわめて人間的な、原始的な批評の誕生する瞬間です。

●福田=大学で講義をしている身からしますと、いまの人はいわゆる近代古典、というものを全然読んでいない。バルザックもスタンダールも、ディケンズも読んでいない。バルザック・クラスの作品を読まないと、本当にすごいものはどんなものか、最高水準がどこにあるのかわからない。さらに云ってしまうと、そもそもいまの学生のほとんどは、教養を必要としていない。

教養とか何とかの前に、バルザック、スタンダール、ディケンズらの作品を読む愉しみを味わったことがない人生とは、何と、もったいないことでしょう――これは、私・榎戸の正直な思いです。

●鹿島=昔、小室哲哉が『アルジャーノンに花束を』を愛読書に挙げたら、ある日突然ベストセラーになった、という現象があったけど、少なくともそういうのがもっともっと高いレベルであれば一つの起爆剤になるかもしれない。