榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

松本清張の推理小説論・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1422)】

【amazon 『実感的人生論』 カスタマーレビュー 2019年3月12日】 情熱的読書人間のないしょ話(1422)

カンヒザクラ(ヒカンザクラ)が満開を迎えています。我が家の庭の片隅でキズイセンがひっそりと咲いています。因みに、本日の歩数は10,032でした。

閑話休題、エッセイ集『実感的人生論』(松本清張著、中公文庫)に収められている「私の黒い霧」では、松本清張の推理小説論が語られています。

「本格(推理)小説といえば、現存作家の中ではトリックメーカーとしてやはりアガサ・クリスティに指を屈しなければなるまい。この作家が頑固にその作風を守っているのは見事だ。トリックの涸渇がいわゆる本格推理小説の衰頽を来している中に、彼女だけは、ときにそれが旧作の焼直しやバリエーションであっても、横道に逸れないでいる。有能な推理作家たちがときに普通の小説と変りのないものを書いている中にクリスティの特異さは目立つ」。清張がアガサ・クリスティを高く評価しているとは、嬉しい限りです。

「密室ものではやはりあっとおどろくような傑作はないようである。カーの『皇帝の嗅煙草入』は、犯人が遠くにいる被害者を第三者といっしょに見る点で卓抜なアイデアだが、密室のトリックそのものはあまり感心しない。古典だが、やっぱりドイルの『まだらの紐』がすっきりした仕上げだと思う。一体に私は機械的なトリックは性に合わないほうで、本文の中に機械仕掛の図面が出てくると、その本を投げ出してしまう。密室ものでも人間の心理の盲点を衝いたトリックが出れば、メカニックなものよりも最上のものになりそうだ。こういう心理的な盲点を利用したものでは、やはりチェスタートンが偉かったと思う。彼の『師父ブラウン』ものはどれを見ても面白いが、殊に『赤勝て白勝て』や、郵便配達夫を扱ったものや、大地が兇器であるという小説など、よくも常識の間隙を狙ったものだと思う。私は彼の『一枚の葉を隠すには森の中に入れるに限る。森がなかったらそれを作るのだ』という論理が好きで、これこそ推理小説の原理を見事に言い得た警句だと思う」。

「チェスタートンといえば、近ごろの推理小説の文章はあまりに単一になりすぎているような気がする。私自身は分りやすい文章を心がけて書いているが、誰かがチェスタートン流の捻った癖のある文章を書いてくれないものだろうか。彼の小説を読むと、その筋もさることながら、最初に長々と述べられる饒舌の面白さは十分再読、三読に値する。それは彼の深い教養から来るものだが、その文章の興味は比類がない」。

「最近、推理小説に、凝った文章がないのは寂しい。昔は雰囲気のある文章の作家がいた。翻訳ものだが、私は伊東鍈太郎訳のシムノンが好きで、『山峡の夜』や『或る男の首』『黄色い犬』など熟読したものだ。推理小説もトリックの面白さやサスペンスにだけ引きずられるのではなく、文章の魅力で読まれるというところまでゆきたい」。

「最近の外国(推理)小説では、ロイ・ヴィカーズの『百万に一つの偶然』に最も感心した。これは『EQMM』の創刊号か2号かに載った旧い作品で、最近というほどではないが、私の読んだ限りでは近ごろの傑作だという印象が残っている。こういう短篇を読むと心から愉しくなる。しかし、この種の充実した作品にはそうめったに出遇わないようだ」。清張にここまで言わせる作品を読まずに済ますわけにはいきません。早速、「読むべき本」リストに加えました。