榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ロシアのロマノフ王朝300年の歴史が、一気に理解できる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1562)】

【amazon 『大人の教養としてのロシア王朝物語』 カスタマーレビュー 2019年7月28日】 情熱的読書人間のないしょ話(1562)

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閑話休題、『ロシア王朝物語――大人の教養としての』(あまおか けい著、言視舎)では、ロシアのロマノフ王朝300年の歴史が、親しみ易い口調で語られています。

とりわけ興味深いのは、初代皇帝のピョートル1世、8代皇帝のエカチェリーナ2世、14代皇帝のニコライ2世――の3人です。

「息子の結婚と前後して1712年ピョートル自身も正式に離婚、以前から野営地で立ち働いていた農家の娘マルタ・スカヴロンスカヤと再婚します。修道院に幽閉されている実の母エウドキアを敬愛するアレクセイには受け入れ難いことでしたから、ますます父親に反発します。息子の反抗はともかく、冷静で沈着なマルタは、カッカしやすいピョートルと相性は良かったようで、呼ばれれば気軽に戦地までホイホイと出かけピョートルの面倒を見ていました。ロシア正教に改宗したマルタは、エカチェリーナと名乗ります(凄腕エカチェリーナ女帝は2世ですから、別人ですよ)」。農民出身の逞しい女性・エカチェリーナは、ピョートル1世の死後、2代皇帝・エカチェリーナ1世として即位します。

ピョートル1世とエカチェリーナ1世の孫、7代皇帝・ピョートル3世の妻となったのが、中流貴族の娘、ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケです。「さほど美人ではないと自覚していたゾフィーは知性や教養を磨くことで自分らしくありたいと願う意志の強い努力家でした。・・・ピョートルの遊びにつきあいますが、すぐに軽率さと判断力のなさを見抜いてしまいます」。

エカチェリーナと改名したゾフィーは、皇帝となった夫・ピョートル3世があらゆる階層の人々から反感を買ってしまった機に乗じて、クーデターを起こし、ピョートルを幽閉してしまいます。そして、エカチェリーナ2世として即位するのです。「皇太子妃候補としてロシアに足を踏み入れた14歳の少女は、故郷シュテッテンで過ごしたよりも長い年月をロシアで過ごし、薄氷を踏むような宮廷生活を己の才覚で乗り切ってきたのです」。

「彼女(エカチェリーナ2世)のアヴァンチュールのお相手はピョートルの死後34年の治世の間20数人というのが史実のようですよ。長年続いたお相手も短期間で終わったお相手も含めて」。

「エカチェリーナ2世は啓蒙思想を実践、病院、避難所、孤児院を開設し、ロシア・アカデミーとスモーリヌイ女学院を設立。辞典を編纂・出版し、画家、音楽家、作家、詩人、科学者を支援しました。在位期間中に作られた都市は144。黒海とアゾフ海に進出し、2倍になった人口で帝国の権威をかつてないほど強固なものにしたのです。初代ピョートルと並んで『大帝』と呼ばれる所以です」。

「(ロシア革命のため、1917年)8月にシベリア送りとなっていた(ニコライ2世)皇帝一家は翌年4月エカチェリンブルクのイパチェフ館に移送されます。移送の度に厳しさが増す生活でしたが、家族が離れ離れにならなかったのは唯一の救いだったかもしれません。そして7月16日の深夜、イパチェフ館の地下室で家族全員と随伴者あわせて11人が銃殺されたのです。・・・時代の波に翻弄されたともいえるニコライ一家の悲劇的な死の後、実は(長男)アレクセイは生きていたとか四女のアナスターシャも生存しているといった噂が流れ、自称アレクセイやアナスターシャが次々と現れました」。300年続いたロマノフ朝は、ここに幕を閉じたのです。