榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

昭和の映画は輝いていたなあ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1597)】

【amazon 『昭和の映画ベスト10』 カスタマーレビュー 2019年9月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(1597)

我が家の庭の片隅のツユクサたちは、朝一斉に青い花弁を開き、昼には閉じてしまいます。庭師(女房)が殺虫剤、除草剤を一切使わないので、我が家の庭は昆虫天国です。ハーブに、ヤマトシジミの雄、ウリハムシ、クロウリハムシ、クサギカメムシ、エサキモンキツノカメムシの幼虫、クモ(種は不明)がやって来ました。夕刻、帰宅すると、温かい光の外灯が迎えてくれます。因みに、本日の歩数は10,862でした。

閑話休題、『昭和の映画ベスト10 ――男優・女優・作品』(西川昭幸著、ごま書房新社)のおかげで、昭和人間の私は懐かしい映画の思い出に耽ることができました。

「映画は娯楽」という考えのもと、著者自身が選んだ昭和の男優ベスト10は、長谷川一夫、三船敏郎、渥美清、高倉健、市川雷蔵、勝新太郎、萬屋錦之介、石原裕次郎、菅原文太、仲代達矢です。女優ベスト10には、田中絹代、李香蘭、原節子、高峰秀子、京マチ子、美空ひばり、岩下志麻、吉永小百合、富司純子、薬師丸ひろ子が選ばれています。作品ベスト10は、『東京物語』(昭和28年)、『七人の侍』(29年)、『二十四の瞳』(29年)、『椿三十郎』(37年)、『浮雲』(30年)、『飢餓海峡』(40年)、『男はつらいよ』(44年)、『仁義なき戦い』(48年)、『砂の器』(49年)、『幸福の黄色いハンカチ』(52年)がランクされています。

三船敏郎が俳優になる際の場面には、高峰秀子、黒澤明、山本嘉次郎、谷口千吉が登場します。「軍隊の上官だった大山年治を頼って上京、大山の推薦で東宝撮影所の撮影助手試験を受けるが、何の手違いか、書類が俳優志願へと回された。俳優面接では審査員に『笑ってみてください』と言われ、『面白くも無いのに笑えない』と答え、人を食ったふてぶてしい態度などで不合格。ところが、この時、面接会場に高峰秀子がいた。三船の存在感に胸騒ぎを感じ、撮影中で審査に参加出来なかった黒澤明に、この事を知らせた。駆けつけた黒澤も三船を見て、ただならぬ雰囲気を感じ、審査委員長だった山本嘉次郎監督に直訴。黒澤の意見を聞き入れた山本が会社に『彼を採用して駄目だったら俺が責任を取る』と言い補欠で採用された。・・・ある日、谷口千吉監督が、三船に『銀嶺の果て』の出演を依頼する。谷口は野性的な男を探していて、『同じ電車に乗り合わせた三船をみて、誘う事を決めていた』。しかし、三船は撮影部のカメラマン志望である。『俳優にはならない、男のくせに面で飯食うのは好きでない』と断った。そのとき谷口は三船が着ていた航空隊の制服をみて、背広を作ってやると口説き落とす」。

映画の画面で見る菅原文太とは異なる菅原の姿が明かされています。「とにかく博識で、俳優仲間より、学者、文化人、ジャーナリスト、会社社長などに人脈が多い俳優でもあった。ニッポン放送で12年間続いた、毎週日曜日に放送の『菅原文太 日本の底力』は、菅原文太が本を読んで著者や、時の人と対談する硬派番組である。文太自身がゲストを決め、過去に584人を招いた。『ゲストが決まると、入念な予習をし、ゲストの著書、インタビュー記事、メディアでのコメントなど、膨大な資料などを読み込んだという』。出演者の中から何人かピックアップした菅原文太著『六分の侠気四分の熱』が出ているので一読をお勧めしたい。後年は俳優活動をセーブし、山梨で若者と有機農業に取り組むかたわら、戦争反対、原発反対、農業を守ろうと全国各地を講演などで歩いた」。早速、「私の読むべき本」リストに『六分の侠気四分の熱』を加えました。

『砂の器』(野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋次脚本、芥川也寸志・菅野光亮音楽、加藤剛・丹波哲郎・緒方拳・加藤嘉出演)は、原作者の松本清張が「原作を上回る」と称賛したミステリ映画の秀作です。「この作品は、2時間23分の大作である。作中、亀嵩で親子が別れるシーンが感動を呼ぶ、宿命の父と子の強い絆、愛のすがた、荒寥たる山陰地方の山野を背景にして恐ろしいまでの迫力で描かれている。ほとんどの観客の心に一番強く残った感銘は父子巡礼の姿であったのではないか。このシーンがあるのに、どうして父子の絆を断とうとしたのか。好人物の老巡査を殺すような冷酷な人間に変わってしまったのか。ここでは和賀の恩人殺しという事件の性質や、和賀にどんな醜い処世上の打算が働いたか、そのあさましさが語られてはいない。それでいてこの映画は胸を打つ」。

『幸福の黄色いハンカチ』撮影時の高倉健のエピソードが紹介されています。「撮影で勇作(高倉)が刑務所から出て来た後、食堂で食事をするシーンがある。その収録で、ラーメンと、かつ丼を美味そうに食べる演技が、一発でOKが出た。あまり見事だったので山田(洋次)監督が高倉に尋ねると『この撮影のために2日間何も食べませんでした』と言葉少なに語り、スタッフを唖然とさせた」。

昭和の映画は輝いていたなあ。