榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

高峰秀子という生き方・・・【山椒読書論(231)】

【amazon DVD『二十四の瞳』 カスタマーレビュー 2013年7月23日】 山椒読書論(231)

幼い頃、見た映画『二十四の瞳』の大石先生を演じた高峰秀子の凛とした美しさに憧れたものであった。

DVD『二十四の瞳』(木下恵介監督、高峰秀子・月丘夢路出演、松竹)は、不朽の反戦映画である。昭和3年、瀬戸内海の小豆島の分教場に新任女教師・大石先生が赴任してくる。12人の教え子たちは大石先生を慕い、彼女はこの子たちの幸せを願う。しかし、やがて押し寄せてきた戦争の波が否応なく子供たちの運命を狂わせていく。因みに、高峰は、この映画の助監督を務めた松山善三と、翌年、結婚している。

その後、読んだ高峰の自伝『わたしの渡世日記』(高峰秀子著、文春文庫、上・下巻)では、その歯切れのよい達意の文章に驚いた。ところが、私は高峰の極一部分しか知らなかったのだ。『高峰秀子の流儀』(斎藤明美著、新潮社)を繙いて、このことを思い知らされたのである。

高峰秀子の生き方の何がそんなに凄いのか。「天才子役」から「大女優」として55歳で引退するまでの50年間に300本を超える映画に主演し、人気を保ち続けたことが凄いのか。小学校に通算しても1カ月足らずしか通えなかったのに、見事な文章を紡ぎ出すことが凄いのか。十数年に亘り高峰と夫・松山に身近に接してきた著者が、敬愛する高峰の驚嘆すべき生き方を丸ごと、この本の中で開示している。

高峰秀子は「動じない」――著者の質問に「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」と答えている。だから、高峰は何事に対しても平常心でいられる。どんな局面においても冷静で適切な判断ができるのだ。「絶対に女優はイヤ。深い穴の底でじっとしていたい」というのが高峰の願いだというのだから、驚かされる。

「求めない」――今や、一歩も外に出ず、誰にも会わず、インタヴューや執筆の依頼も頑として受けず、三度の食事の支度以外はひたすらベッドで本を読む日々。これが85歳の高峰の現在の生活だという。華やかな映画界で長く過ごしながら、その魔力に幻惑されなかった。多くの女優が後生大事にする自分の業績に対して、いとも簡単に「興味ない」と答えている。高峰にとって重要なことは、映画賞をもらうことでも、目の色を変えて金を稼ぐことでも、日本映画史上に名を残すことでもなく、ただ、大切な夫と日々の暮らしを自分流に快適に過ごすことなのだ。

「期待しない」――著者は、「高峰はつくづくと不思議な人」と述べている。大女優なのに、虚栄、高慢、自己顕示、自惚れ、これら女優の「職業的必要悪」を全く持っていないからである。著者は、高峰が愚痴の類いを口にしたのを、ただの一度も聞いたことがないと言う。それは、高峰には端(はな)から愚痴の種になる「期待」そのものが存在しないからだ。

「迷わない」――迷わない人、決断力のある人は、自分の中に揺るぎない己の規範を持っている人だ。5歳の時から大人の中に交じって働いてきた、言わば「子供時代を奪われた」一人の少女が、その目で、じっと人間を見、物事の有様を見つめ続けながら、人にとって本当にすべきことは何か、してはならないことは何か、何が美しくて何が醜いのか、つぶさに見て、学び取った結果だ、と著者は考えている。

「変わらない」――高峰は、変わらない。決して翻意しない。前言を翻すこともない。不動の価値観を持っている。

結婚した時、高峰は大スターで、松山は1歳下の名もなく貧しい助監督であった。高峰のこの選択も素晴らしいが、その後、半世紀以上、彼女の死の瞬間まで、価値観を共有し、尊敬し合って仲良く暮らしことがもっと素晴らしいと思う。