君たちは「現代の奴隷」でいいのか――老骨・榎戸誠の蔵出し書評選(121)・・・【あなたの人生が最高に輝く時(208)】
●『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著、講談社+α文庫)
『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著、講談社+α文庫)は、若者のみならず、我々高齢者が「若者」のことを考えるときも、恰好の材料となる。
著者の26歳の社会学徒の文章表現は、「僕たちは学校で2000年前の佐賀県にあったちょっと大きな村のこと(吉野ヶ里遺跡)や、1300年前に起こった奈良県での兄弟げんか(壬申の乱)や、400年前に部下に裏切られたおじさんの話(本能寺の変)を『日本の歴史』として教わる。身分も地域も違う出来事を、その当時の日本領土を基準にして、乱暴にパッケージしてしまったのだ」といった具合である。
「中国における農民工(農村出身の都市下層労働者。著者は『まるで現代の奴隷のような存在』と表現している)の生活満足度の高さ、蟻族(高学歴ワーキング・プア)の満足度の低さからは、ある残念な結論が導き出される。日本が格差の固定された階級社会や、身分制社会になってしまったほうが、多くの人にとって幸せなんじゃないかということだ。客観的には劣悪な環境で暮らす幸せな農民工と、自己実現欲求や上昇志向を捨てられないがゆえに不幸せな蟻族は、日本の未来を考える上で象徴的だ。というか、20代の生活満足度が上昇し続けているという事実は、すでに日本も若者が半ば『農民工』化していることを示しているのかも知れない。それは時代に適合した賢明な生き方でもある」と述べている。
「僕たちはどこへ向かうのか?」という問いに、「このままでいくと、日本は緩やかな階級社会へ姿を変えていくだろう。『一級市民』と『二級市民』の差は少しずつ広がっていく。一部の『一級市民』が国や企業の意思決定に奔走する一方で、多くの『二級市民』はのほほんとその日暮らしを送る、という構図だ。だけどそれは、人びとにとって不幸な社会を意味しない」と答えている。
「戻るべき『あの頃』もないし、目の前に問題は山積みだし、未来に『希望』なんてない。だけど、現状にそこまで不満があるわけじゃない。なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく。絶望の国の、幸福な『若者』として」という著者の結論に、「おいっ、それでいいのか!」と言いたくなったのは、私だけだろうか。