榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

松本清張の一風変わった味わい方・・・【MRのための読書論(46)】

【Monthlyミクス 2009年10月号】 MRのための読者論(46)

松本清張の秘密

私淑する松本清張の作品は、これまでそのほとんどを繙いてきたが、MRとしても人間としても学ぶことが多い。『松本清張を推理する』(阿刀田高著、朝日新書)は、同じ作家という立場から著者が清張の創作の秘密に鋭く迫っている。清張好きには見逃せない一冊だ。

読み比べの妙味

阿刀田は、清張の初期の短編『赤いくじ』はモーパッサンの『脂肪の塊』から影響を受けているはずだと指摘する。この2つの作品を読み比べてみよう。『赤いくじ』(松本清張著、新潮文庫『或る「小倉日記」伝』所収)は、1945年の日本敗戦時の朝鮮を舞台に、若く美しい人妻の悲劇が描かれている。勝利者として乗り込んでくるアメリカ兵をもてなすために日本女性を差し出そうという日本軍幹部の卑劣な目論見によって、くじで決められた女性たちの中に、この人妻も含まれていたのである。

一方、『脂肪の塊』(ギ・ド・モーパッサン著、青柳瑞穂訳、新潮文庫『脂肪の塊・テリエ館』所収)は、「脂肪の塊」と呼ばれている娼婦の物語である。普仏(プロシアとフランスの)戦争の最中、プロシア兵に占領されたルーアン市を脱出しようとするフランス人の一行。四頭立ての大きな乗合馬車にたまたま乗り合わせたのは、伯爵夫妻、県会議員夫妻といった、金力にものをいわせて安閑と生活してきた上流階級の6人、尼僧2人、革命家1人、娼婦1人の計10人。ところが脱出行の途中で、この馬車はプロシア士官に捕まってしまう。そしてこの士官は「脂肪の塊」にベッドを共にすることを要求する。この申し出をきっぱりと拒絶した「脂肪の塊」に、最初は同情的であった一同が、自分たちの利益のために、やがてどういう仕打ちをしたか。「脂肪の塊」の抑えきれないすすり泣きが暗闇の中へ流れ去る最後が印象的である。

推理小説の力作

社会派推理小説の創始者としての清張の功績は、私が言うまでもないだろう。いずれも力作揃いであるが、清張の推理小説を手にしたことのない向きには、まず『点と線』(松本清張著、新潮文庫)、『ゼロの焦点』(松本清張著、新潮文庫)、『砂の器』(松本清張著、新潮文庫、上・下巻)の3作品を薦めたい。現在の人気作家たちの推理小説とは深みと広がりが違うことが明らかになるはずだ。

清張の本音

清張と佐野洋、五木寛之、井上ひさし、筒井康隆との対談がまとめられた『発想の原点――松本清張対談集』(松本清張著、双葉文庫)は、清張の発想の原点というか、清張の本音が垣間見えて興味深い。五木の「何が幅広い仕事にこれほどまでに駆り立てているのか」という問いに、清張はずばり「好奇心」と答えている。また、『下山国鉄総裁謀殺論』(松本清張著、文春文庫『日本の黒い霧』所収)は、敢えて小説の形はとらずに、事実の部分と推理の部分とを書き分けた、と述べている。この戦後のアメリカ占領下に起きた怪死事件の裏に蠢く大きな謀略に肉薄しようとする清張の執念たるや凄まじい。この作品と『下山事件 最後の証言』(柴田哲孝著、祥伝社文庫)を併読することによって、さらに好奇心を満足させることができるだろう。なぜなら、「GHQ(占領軍総司令部)の特務機関員だった私の祖父が、この事件の実行犯だ」と主張する著者・柴田が、事件の真相に迫った型破りのドキュメントだからである。

古代史への情熱

清張を語るとき、古代史探究の業績も忘れてはならないだろう。『陸行水行』(松本清張著、新潮文庫『駅路』所収)と『古代史疑』(松本清張著、中公文庫。出版元品切れ)は、多くの学者や研究者が侃々諤々の議論を繰り広げている「邪馬台国論争」、すなわち「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼の邪馬台国は九州にあったのか、畿内にあったのかという謎に正面から取り組んだ作品である。邪馬台国論争の全体像を過不足なく把握するには最適である。