岩佐又兵衛の『山中常盤物語絵巻』が我が家に出現・・・【山椒読書論(312)】
大分以前のことだが、静岡県熱海市のMOA美術館の特別展で「山中常盤(やまなかときわ)物語絵巻」の実物に対面した時は、そのあまりの迫力に呆然と立ち尽くしていた。
今回、『岩佐又兵衛作品集――MOA美術館所蔵全作品』(矢代勝也著、東京美術)を手にした途端、当時の感動が生々しく甦ってきた。
「岩佐又兵衛勝以(かつもち)(1578~1650年)は、江戸時代初期の絵師で、豊頬長頤(ほうきょうちょうい。頬が豊かで顎が長い)の人物表現や大和絵と漢画を折衷したような独特の画風で一世を風靡し、のちの絵画に多大な影響を与えた。『浮世又兵衛』の異名をとり、浮世絵の祖、大津絵の祖と喧伝され、謎の絵師とされてきた」。
「この又兵衛のコレクションで知られるのが、静岡県熱海市のMOA美術館である。なかでも、『山中常盤物語絵巻』『浄瑠璃物語絵巻』『堀江(ほりえ)物語絵巻』のそれぞれ12巻からなる絢爛豪華な古浄瑠璃絵巻群コレクションの充実は他に類を見ない」。
『山中常盤物語絵巻』は、源義経(幼名・牛若)伝説に基づく御伽草子系の物語で、藤原秀衡を頼って奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に惨殺され、牛若がその仇を討つという筋書きである。牛若の奥州下りは史実であるが、常盤の惨殺と牛若の敵討ちは歴史的事実ではない。
12巻の全長は150mを超える長大な作品であるが、その圧倒的な存在感には息を呑む。特に、「山中の宿には、屈強な六人の盗賊が住んでいた」→「せめくちの六郎は、常盤主従を襲い、(高価な)小袖を奪うことを提案する」→「夜半、盗賊は常盤の宿所に押し寄せ、表門を打ち破る」→「邸の中まで乱れ入り、常盤と(侍女の)侍従の小袖を奪い、門外に逃げ去ろうとする」→「常盤は肌を隠す小袖を返すか、さもなければ命を奪っていけと訴える」→「せめくちの六郎が立ち帰り、常盤の(長い)黒髪を手に巻き、刀を突き刺す」→「侍従は常盤を抱き、さめざめと泣く」→「ほりの小六が侍従を刺す」→「宿の主人が騒ぎを聞いて駆けつけるとと、瀕死の二人の姿があった」→「宿の主人に問われ、常盤は自らの身分と名を明かす」→「宿の主人は高貴な常盤が侍従以外に供を連れていないことを訝しむ」→「宿の主人は息絶え絶えの常盤から事情を聞き、牛若への形見の品々を預かる」→「宿の主人は常盤の遺言どおりに、常盤と侍従を街道わきに土葬して高札を立てる」。この一連の絵の凄まじさ。常盤も侍従も小袖を奪われ、上半身裸、刺された常盤の胸には血がべっとりという有様だ。登場人物一人ひとりの表情も動作も、実にリアルで、まさに大型スクリーンの劇画の世界である。
この後、物語は牛若の敵討ち場面に移っていくが、これがまた凄いの何のって。盗賊どもの首や手足が切り落とされ、胴体が切り刻まれる血なまぐさいシーンの連続である。
又兵衛の自画像とされる作品も収録されている。「本図は、江戸にいた又兵衛が亡くなる直前に、福井に住んでいた妻子に形見として描いた自画像であると伝えられている。頭は禿げ上がり、無精髭をたくわえた老人の風貌をみせ、竹製の椅子に坐し、右手には竹の杖を持ち、肘掛けにもたれた左手は数珠を提げている」。
3つの絵巻の全画面が鮮明なカラー画像なので、我が家にMOA美術館の分館が出現したような、幸せな気分を味わっている。岩佐又兵衛ファンには、まさに垂涎物である。