毎日毎日を最後の一日と決めて生きよ・・・【山椒読書論(345)】
『人生の短さについて 他二篇』(ルキウス・アンナエウス・セネカ著、茂手木元蔵訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、人生を考えさせる示唆に富んでいる。
「君は多忙であり、人生は急ぎ去っていく。やがて死は近づくであろう。そして好むと好まざるとを問わず、遂には死の時を迎えねばならない」。生涯の終末に至った時、何のなすところもなく、長い間、多忙に過ごしたことに気づいても、もう間に合わないというのだ。
「われわれは短い人生を受けているのではなく、、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである」。
「財産を守ることは吝嗇(けち)であっても、時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、たちまちにして、最大の浪費家と変わる」。こう言われると、身につまされる。
「君の人生の日数を差引決算し、よく調べてみるがよい。そうすれば、君にはもうほんの僅かな使い残りしか残っていないことが分かるだろう」。まさに、そのとおりだ。
「どんな時間でも自分自身の必要のためにだけ用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、このような人は明日を望むこともないし恐れることもない。なぜというに、新しい楽しみのひとときが何をもたらそうとも、それが何だというのだろうか。こんな人には万事が知り尽くされ、万事が十二分に理解されている。それ以上のことは、運命の女神が好きなように決めるであろう」。一日一日を、今日こそ人生最後の日と思いながら生きたら、どんなに充実した人生を送ることができるだろう。
セネカはローマ帝国第5代皇帝・ネロの幼少時の家庭教師、そしてネロの治世初期にブレーンを務めた弁論家・政治家であるが、やがて、ネロから自害を命じられる。死の直前に、友人たちにこう述べている。「ネロの残虐さを知らない者があったとでも言うのか。自分(ネロ)の母と弟を殺したあとには、養育係であり教師でもある私の殺害を加える以外に、何も残っていないのだ」。
セネカの「人生は短いが、よく使えば長い」という教えが、身に沁みる。
なお、翻訳に関してだが、同じ岩波文庫の新訳よりも、この茂手木訳を薦めたい。