セネカは道徳的な哲学者の仮面を被った、世渡り上手な政治家だった・・・【情熱の本箱(162)】
かつて、『人生の短さについて』(ルキウス・アンナエウス・セネカ著、茂手木元蔵訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を繙いた時には、ルキウス・アンナエウス・セネカは廉潔な哲学者という印象を受けたのだが、今回、『セネカ 哲学する政治家――ネロ帝宮廷の日々』(ジェイムズ・ロム著、志内一興訳、白水社)を読むと、どうもそう単純なイメージでは捉えられない人物のようだ。
セネカには、哲学者・思想家・著述家としての顔と、政治家としての顔があり、前者の立場で説いている内容と、後者としての行動の実態との間に矛盾が生じてしまっているのだ。
「文学的技法というこのうえなくしなやかな道具の、このうえない繊細な使い手であったセネカなら、政治家と道徳的な思想家の二兎を追うことも可能だった」。「言葉と議論を巧みにあやつるセネカには、一度に二つのことができた。すなわち、自分の考えるストア派的理想を詳しく論じ、同時に自分の政治的イメージを改善するのだ。両面を見据えたこの駆け引きを、セネカはどうやら宮廷入りした当初も続けていたようだ。そしておそらく、人生最期の瞬間まで続けていたのだった」。「これまで多くの善人たちが、取引をしつつ悪しき政権に手を貸してきたように、セネカも取引をした。つまり、一面では、彼らの存在がそうした政権を強化して存続を助けることになる。その代わり、自分の道徳的な影響力を使って政権のふるまいを良いほうへと導ける可能性があるし、あるいは政権の敵とされた人の命を救えるかもしれない」。「熟練した駆け引き上手のセネカは、これまでの政治的経歴を通じ、両面作戦をとって両極端の中間に進路を取るようにしてきた。今回、人生で最も大事なこの分かれ道で、彼の選んだのはやはり日和見だった。(ネロ暗殺の)陰謀に参加もせず、反対もしないことにしたのである」――著者は、何かと言うと二言目には哲学と言い出す男の裏面をこのように記している。
セネカの一生は、こうまとめることができるだろう。ローマ帝国の若き皇帝・ネロの家庭教師、助言者として、権力と富を手に入れたものの、やがて、ネロから遠ざけられ、最期は、ネロ暗殺の陰謀に加担したことをネロから糾弾され、自決して果てる。
セネカがネロの家庭教師に抜擢されたのは、ネロの教育熱心な母・アグリッピナの引きがあったからである。「本能的にイメージ作りが巧みだったアグリッピナには、頼るべき人物がわかっていた。弁論家としても著述家としても優れ、道徳的な生き方で名声を博す人物。そういう人物なら、自分の息子に輝きを与えてくれる」。こうして、セネカは流刑に処せられていたコルシカ島から呼び戻されたのである。
「クラウディウス(皇帝)の生前、ネロを帝位につかせるという目標が、アグリッピナ、息子のネロ、そしてネロの家庭教師セネカをがっちり団結させていた。しかし、目標が達成されたいま、この関係の土台が揺らぎ始めたのである」。
やがて、「セネカは宮廷でアグリッピナによって敗北をこうむっていた。二人はその時点では、すでに完全なライバルとなっていたのだ」。セネカの義父がアグリッピナによって更迭されてしまったのである。「この退任を自発的でいさぎよいもの、つまりは哲学者的行動たる隠退として描き出す必要があった。どうやらこれが、『人生の短さについて』という作品の執筆意図のひとつであったようだ。パウリヌス(義父)に宛てて書かれたこの論考で、セネカは彼に、まさにそういった隠退を勧めている。・・・『人生の短さについて』という作品の全体には、ひとりの人間に向けた隠退生活の勧め以上の内容が含まれている。取り上げられる話題の幅は広く、また幅広い層へと訴えかけられもしている。セネカはこの作品のなかで、時間、死という運命、良き生への探求等について、みずからの思想の主要部分を詳しく論じている。哲学的に思索することによってのみ、探求は成就するとセネカは説く。哲学を学ぶ者のみが真の生を生きている。そして時間という牢獄の外へ出て、永遠の領域へと足を踏み入れることができる。それ以外の誰もが、日々の営みにあくせくと追われ、時間を無為に費やしている。絶えず時を刻む時計の針を、ただ死という運命に向けて進ませているだけだ。『人生の短さについて』の末尾に置かれた、義父パウリヌスへのこの語りは、この著作の他の部分からも、さらにはセネカの他の作品からも、そのするどさと詳細さの点で突出している」。この著作から私が感銘を受けたのは、当然と言えば当然のことだろう。
「いま彼(ネロ)は、(口やかましくああしろこうしろと命じる)母と完全にたもとを分かつ危険をおかすつもりでいた。ネロが頼りにしたのは、うってつけの味方であるセネカだ。・・・もし母と息子が対決する日がきたなら、セネカは息子の側に立つ」。
「アグリッピナを除くと、ネロに最も近しい人間だったのがセネカだ。ネロが統治者としてふさわしいか見定めるのに、彼以上の適任者はなかった。セネカがネロの未来に不安を感じていたとしても、この賢人はそれを決して外には表さなかった。少なくとも、世界におとずれる破局を狂おしく描写したようには、あからさまにしなかった。きっとセネカは、疑いをいだいていたに違いない」。若さゆえの傲慢と絶対的な権力の結びつきは爆発しやすい組み合わせであることを、セネカは知っていたにも拘わらず、決して行動しようとはしなかったのである。
事実、ネロは、義弟殺し、母親殺し、妻殺し、自分の地位を脅かす可能性のある一族の人間皆殺し、側近殺しを次から次へと実行していく。「その雄弁や知識を総動員すれば、セネカはネロ政権に多大なる損害を与えることができただろう。にもかかわらず、彼がこの武器を使う気になった形跡はまるでない。むしろ彼は書き続けようとしていた。自分が目にした罪には口をつぐみ、生き続けようとしていた。彼は尊敬されすぎてネロがおいそれと殺せない賢人をめざすのだ」。
「(古参の人間は皆、死んでしまい)セネカだけがひとり取り残されていた。孤立し、過去の名残のように、彼は生き長らえていた。もはや政権でのはっきりした役割もなく、かといってそこから完全に去る望みもなかった。・・・彼はたそがれのなかに生きていた。自分をいまの地位へと導くきっかけとなった道徳的な評判が、セネカを囚人のように宮廷に縛りつけていた」。
セネカの本質を知ったほうがよかったのか、知らないほうがよかったのか――正直なところ、複雑な気持ちである。著者の、「結局のところ、セネカは人間なのだ。人間に付きものの欠点や欠陥をそなえた、人間すぎるほどの人間なのである。彼の手になるいくつかの弁解の一点で述べるとおり、彼は最善の人間と同等ではないが、悪人よりは優れていた。セネカの著作を読む多くの人にとっては、それで十分でなかろうか」という言葉に胸を衝かれる。