榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ストア派の思想とは、エピクロス派の思想とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2771)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年11月17日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2771)

高木に止まるジョウビタキの雄(写真1、2)だが、ジョウビタキは赤い実が好物だという証拠写真が撮れました。ヨシガモの雄と雌(写真3)、雄(写真4、5)、換羽前の雄と思われる個体(写真6)、オカヨシガモの雄(写真7、8)、雌(写真9、右端は雄)、ヒドリガモの雄と雌(写真10~12)、コガモの雄(写真13)、雌(写真14)をカメラに収めました。我が家のリニューアルした餌台「カラの斜塔」にシジュウカラ(写真16)とスズメがやって来ました。因みに、本日の歩数は11,651でした。

閑話休題、『哲人たちの人生談義――ストア哲学をよむ』(國方栄二著、岩波新書)のおかげで、ローマ時代のストア派の代表的哲人、ルキウス・アンナエウス・セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの思想を学ぶことができました。

「ローマのストア派の哲人たちの書物は、ギリシア時代のものと比べると、明らかに議論の厳密性に欠けるところがあるが、それでも多くの読者を獲得した。この点では、エピクロス派のほうは対照的で、ローマ時代でも貴族の中にエピクロス哲学に関心を寄せる者がいたが、ストア派のように広範に読まれることはなかったように思われる」。

ストア派の思想とは? 「ストア派の思想が教えるのは、自分の所有するものがいつまでも自分のものではないことを自覚せよということである。愛することそのものを否定するわけではない。愛しい者と親しく交わるのはそれでよいが、その交わりにはいつか終わりが来ることをつねに考えよ、ということなのである」。

<「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、われわれの働きによらないものは、われわれの力の及ばないものである。そして、われわれの力の及ぶものは本性上自由であり、妨げられも邪魔されもしないが、われわれの力の及ばないものは脆弱で隷属的で妨げられるものであり、本来は自分のものではない>。「エピクテトスが哲学に求めたのは、『人はいかにして精神の自由を得ることができるか』という問いに尽きている。・・・エピクテトスは、自分の行為の対象を私たちの力が及ぶものに限って、他人が介入できないその世界において、精神の自由を見出そうとするわけである。たいていの人は自分の周囲の世界を変えようとするが、エピクテトスが勧めるのはむしろ自分自身を変えることである」。

本書の特色は、ストア派の思想を考察するに当たり、ストア派とライヴァル関係にあったエピクロス派についても大幅にページを割いていることです。

「(エピクロスが開いた学園『エピクロスの園』は)売春婦を含む女性たちや奴隷にも門戸を開いていたのもその特色と言えるだろう」。

「エピクロスの場合には、身体的な快楽よりも魂の快楽のほうがより大きく、したがってより重要となる」。

「エピクロスは、私たちが自分の死に対して恐怖を抱くのは愚かであると考えた。つまり、私たちが生きているときは、その私たちにとって死は存在しないし、死が存在するときには、私たちはもはや存在しないのだから、<死はわれわれにとってなにものでもない>ということになる」。このエピクロスの死に対する考え方を知った時に、私は、長年の死に対する恐怖から解放されたのです。

「(エピクロスは)臨終のさいには、排尿困難の病気に冒されていたが、弟子に宛てた手紙において、<わが人生において幸福な最後の日々を過ごしながら、君たちに書き記す>として、友人たちと過ごした過去を回顧しながら、死を前にしたひと時を精神の喜びに満ちた幸福な日々だと述べている。快楽主義は、その名のイメージからほど遠く、このような一種の達観、あるいは精神の強さが求められるのである」。

この本に出会えてよかった――心より、そう思っています。