若山牧水は、旅と酒の歌人にとどまらず、恋の人でもあった・・・【山椒読書論(445)】
山に行けば、「幾山河(いくやまかわ)越えさり行(ゆ)かば寂しさの終(は)てなむ(ん)国ぞ今日も旅ゆく」と口ずさみたくなる。海に向かえば、「白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあを(お)にも染まずただよふ(う)」が浮かんでくる。また、独り酒を嗜んでいる時は、「白玉(しらたま)の歯にしみとほ(お)る秋の夜の酒はしづ(ず)かに飲むべかりけり」が自然に口に上る。
いずれも若山牧水の代表作であるが、彼の歌は声に出すと、一段と味わいが増す。
牧水は、生涯、旅と酒を愛したが、『若山牧水――流浪する魂の歌』(大岡信著、中公文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)によれば、恋の人でもあった。
大岡は、『父・若山牧水』(石井みさき著、五月書房。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を引用して、このように述べている。「簡潔に二人(父・牧水と母・喜志子)の出会いとその結果が描かれているが、著者はさらにこう付け加えている。『小枝子は牧水の官能を激しく惹きつけ酔わせた。小枝子によって女の情熱のはなやかさ、嫋々たるあわれとはかなさを知らされていた牧水は、最初喜志子の土の匂いのする素朴で真摯な生き方に戸惑ったのではないだろうか。しかし喜志子は貧しさに耐えながら、牧水の短歌を、旅を、――酒をさえ――理解し支えつづけ、牧水にとって二なき人となった』。みずからの父と母、そして父の最初の運命的な恋の相手について書かれた文章として、これは心に沁みるすぐれた文章である。ここには公平な、成熟した判断と評価がある。それはたぶん、著者が、父牧水、母喜志子、とくに母から受けついだ美質によるものであろう」。
さらに引用が続く。「『この(懊悩の数年)間に牧水が味わった人生。長く長くあとに残った悲しみと悔いの水脈。これは単純明朗だった青年を、人間の機微や下世話に通じた苦労人に仕上げ、晩年のあの心に襞の多い複雑な牧水に練り上げた。日の当たる表街道だけ歩いた人には見えぬものが牧水には見えた。例えばその後の牧水には弱い者、貧しい者、才なき者の心の屈折ににじみ出るような思いやりがあった。あらゆる不遇な人の心理を、牧水はすでに自分のものとして充分知っていたからだ』」。娘からこのように評されたことを知ったなら、牧水は嬉しく思ったことだろう。
大岡は、「牧水青年期の、(1歳年上の)小枝子という人妻との恋、幸福の絶頂から絶望のどん底まで、数年にわたって彼をひきずりまわし、疲労困憊させた不幸なその恋のいきさつに深入りせざるを得なくなり、その後につづく(5歳年下の)喜志子(牧水夫人)とのもう一つの恋についても当然書かねばならなくな」ったと記している。
なぜ、我々は牧水に懐かしさを感じるのだろうか。「彼の中には、ひたすら自己に集中し、現在のおのれを乗り越えて未知の高みへ向かおうとするはげしい克己心と、とどめようもない虚脱感に身をまかせ、薄暗がりの海底にわれとわが身を投げ出してしまうような自己放棄への衝動とが、いつも共存していたように思われる。単純に破滅型の詩人なのではなかった」のである。