榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

アフリカ人女性と著者との恋物語と、文化人類学との不思議な関係・・・【情熱的読書人間のないしょ話(124)】

【amazon 『恋する文化人類学者』 カスタマーレビュー 2015年7月19日】 情熱的読書人間のないしょ話(124)

若い頃は、夏休みになると、会社の保養所などを利用して、軽井沢、蓼科、八ヶ岳高原などに毎年のように出かけていましたが、その時代の思い出の写真が社内報「三共往来」に掲載されたことがあります。久しぶりに訪れた軽井沢のハッピイ・ヴァレイ(幸福の谷)の苔むした石畳の小道は、以前どおりの静寂に包まれていました。

FOGUS

2012/ 7/28  9:58

閑話休題、『恋する文化人類学者――結婚を通して異文化を理解する』(鈴木裕之著、世界思想社)は、不思議な雰囲気を湛えた本です。著者自身と、アフリカのコート・ジヴォワール人女性との恋愛・結婚物語が縦糸、文化人類学の基礎のレクチャーが横糸となっているからです。

「私がこの本を書く動機は、人類の多様性を尊重したいからである。私はさまざまに異なる人々がいっしょに生きることをすばらしいと思う。肌の色、国籍、宗教、言葉、食文化、音楽・・・世界はあきらかに『違う』人々で満たされている。・・・(異文化交流の)困難を前提としつつ、厄介な『違い』を楽しむためにこの堅固な壁を突きやぶりたい。壁の存在を認めたうえで多様性を愛したい。私はそう思うのである」。

「私が文化人類学者の卵としてそうした知識を身につけていたことは、妻およびその親族と人間関係を築くうえで非常に役に立ってきた」。

「べつに結婚を前提につきあっていたわけではない。知りあったのは私が24歳、彼女は10代後半という若さだ。ただただいっしょにいるのが楽しく、ともに過ごす時間が充実していただけのこと。知りあってすぐ、彼女はミュージカル劇団『コテバ』の団員となり、やがてアイドル・グループ『レ・ゴー』の一員として歌手デビュー。私たちのつきあいは秘密裏につづき(知っていたのは、彼女の家族だけ)、その期間は7年にもおよんだ。・・・独り身の気楽さより、ニャマ(・カンテ)とともに生きてゆくこと、それも社会的に認められながらふたりで人生を歩んでゆくことが、心のおおきな部分を占めるようになっていった。こうして私の頭のなかに『結婚』という言葉が浮かんでは消えてゆくようになり、やがてこの二文字が点滅するのをやめて常時点灯するようになったとき、私はニャマとの結婚を決意したのである」。この後、著者は異文化と直面することになりますが、文化人類学の知識を活用して困難な状況を乗り越えていくのです。

「『婚姻とは女性の交換である』。いったい、誰がこんなことを言ったのか。彼の名は、レヴィ=ストロース。男性。フランス人。文化人類学史上、もっとも有名で、もっとも重要で、もっとも天才的な人物だ。・・・(彼の)『親族の基本構造』の扉をあらためて(というか、はじめて)開いてみて気づいたのは、もしかしてこれは探偵小説に近いのでは、ということである。べつに、ふざけているわけではない。優秀な探偵がある謎を解明するためにさまざまな証拠を集め、いっけんバラバラに見える事象のあいだの関係を推論しながら、ついに謎の答えを見つけだす。そこにあるのは、シャーロック・ホームズのようにさまざまな証拠を集める行動力、エルキュール・ポワロのように証拠のあいだの隠れたつながりを理解する明晰な頭脳、刑事コロンボのように最後まであきらめないねばり強さ・・・。名探偵レヴィ=ストロースはある難題に直面していた。『自然状態と社会状態の区別』はどこにあるのか。いきなりなんのことかと面食らう読者もおおいと思うが、これは『自然と文化の対立』という文化人類学の古典的課題を意味している」。ここから、「インセスト禁忌(近親婚のタブー)」が分かり易く説明されていきます。

「自分のグループ(一族)の女性と『結婚してはならない』という禁止は、他のグループの女性と『結婚せよ』という命令に他ならない。『インセスト禁忌は母、姉妹、娘との結婚を禁ずる規則であるより、母、姉妹、娘を他者に与えることを義務づける規則、典型的な贈与規則である』。・・・つまり外婚により複数の集団が連帯し、人類はよりおおきな社会を形成することが可能となるのである。そしてそれは『女性の交換』という形式をとる。『つねに交換こそが、婚姻制度のあらゆる様態に共通する根本的土台として立ち現れる』。自然の状態の親族関係に、あえて人為的なインセスト禁忌とそれによって引き起こされる外婚規制をもちこむことで、人類は自然な状態から文化の状態に移行した、とレヴィ=ストロースは考える。『別の家族との縁組の絆が、生物性に対する社会性の優位、自然性に対する文化性の優位を保証する』のである。結婚はたんなる男女間の愛の結晶などではなく、人間社会を成立させるもっとも根本的な社会的仕組みなのだ」。

「文化人類学を勉強していていちばんよかったと思うのは、われわれの常識を覆すような事例に遭遇したときである」。

文化人類学は確かに易しい学問ではありませんが、本書を読み終わった時には、この学問の面白さが実感できるようになっていることでしょう。