集団的自衛権は、日本にとって得なのか損なのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(130)】
この幼い天使が大きなドアをほんの少しだけ開けて中を覗いている絵は、私の好きな絵の一つです。恥ずかしながら、この絵をどこで目にしたのか、画家は誰なのかはっきりしません。ご存じの方がいましたら、ぜひ教えてください。
閑話休題、『亡国の集団的自衛権』(柳澤協二著、集英社新書)は、小泉、安倍(第一次)、福田(康夫)、麻生政権下で自衛隊海外派遣のための法整備と現場指揮を主導した防衛官僚の手になるだけに、内容が実際的かつ具体的です。
「自衛隊員は、一度命令を受ければ、黙って任務を遂行します。しかし、彼らには家族もいるのですから、生身の人間の命を失わせるかもしれない命令を下す人間には、『本当に必要なことか』という悩みやためらいがあってしかるべきでしょう。今の政府では、『血を流すことが必要だ』と、自ら血を流す立場にない人間が軽々に主張しており、元防衛官僚として、そのことに怒りを禁じ得ません」。
「結論から言えば、集団的自衛権は、日本の防衛にとってはむしろ有害無益なものです」。著者がこう主張する根拠が、明快に展開されていきます。
「ガイドラインで日本がアメリカに協力する『有事』で、現在可能性があるのは、イスラム国・中国・北朝鮮でしょう。では、これらの国々で『有事』が起こったとき、実際にどのような事態になるのか、考えてみたいと思います」と、議論の進め方が実に具体的です。
「集団的自衛権が必要だという論拠に、『抑止力が高まり、日本はもっと平和になる』というものもあります。私はこうした論理を『バラ色の抑止力』と呼びたいと思うのですが、ここで問題となるのは、では一体何を抑止するのか、ということです。・・・そもそも抑止とは何かと言えば、『攻めてきたら、やられた以上にひどい目に遭わせるぞ』という脅しであって、『懲罰的抑止力』、または『報復的抑止力』と呼ばれています。・・・抑止力の概念にはもうひとつ、『拒否的抑止力』というものがあります。・・・今必要とされている抑止力は、『こちらに何かしたら倍返ししてやり返してやる』という冷戦時代の『懲罰的抑止力』ではなく、『やろうとしても、そう簡単に思うようにはさせないぞ』という『拒否的抑止力』のほうだと思います」。
「現実に当てはめてみて、アメリカが抑止する気がなければ集団的自衛権があってもまったく機能しない、という話になってしまいます。日本の立場からすれば、中国がベトナムやフィリピンで行っているような乱暴が『明日は我が身』となっては困るわけですから、アメリカの対応で抑止してもらいたい、と願います。しかし、現実にアメリカがどういう対応をしているかというと、フィリピンが国際海洋法裁判所に提訴している訴訟などの法的解決を支援する、あるいは海洋監視能力をつけるために巡視船を供与するといった、要はアメリカが直接出なくてもすむような自助努力を奨励する方向性の援助です。そうしたことから、日本はアメリカから見捨てられるのではないか、という漠然とした不安が生じるのかもしれません。しかしアメリカにしてみれば、日本のタカ派的アプローチが高じて、アメリカにとっては無益な日中の争いに巻き込まれたくない、という思惑があります」。すなわち、日本とアメリカとの間で、抑止目標のずれがあるというのです。
「アメリカと中国にとって最大の関心事は、西太平洋における行動の自由や制海権をどちらが握るのか、ということです。・・・日本が攻撃されるというリスクを負って集団的自衛権を使う見返りに、アメリカは日本に何をしてくれるでしょうか。おそらく、何もしてくれないだろうと思います。・・・(中国が尖閣諸島に軍事行動を起こした場合、アメリカは)おそらく空母を沖縄近辺に持ってくるようなオペレーションを行って中国を威嚇し、それと同時に日本と中国を仲介して早く紛争を終わらせるというのが、アメリカの国益から考えて最も妥当なやり方だと思います。集団的自衛権を使ってアメリカをつなぎとめるということの、これが最も現実的なシナリオです。尖閣諸島をめぐって、アメリカが報復のために中国本土を長距離爆撃機や長距離ミサイルで攻撃するということは、まずあり得ません」。
このように、「アメリカのために『血』を流すというバランスシートは明らかに日本にとって損であり、不利なものです」。今こそ、冷静に損得を考える必要があるのです。