寺山修司の手書きのラブレター集を読んで、寺山への視線が変化した私・・・【情熱的読書人間のないしょ話(166)】
秋の風を感じながらの散策中に、空を見上げたら、そこに広がっていたのは、秋の空でした。少し行ったところで、「秋のクモ(雲)と、巣を張っているクモ(蜘蛛)」のツーショットを写真に収めました。ジョロウグモ(女郎蜘蛛)は、よく見るとタイガース模様ですね(笑)。
閑話休題、私は、以前から寺山修司の才能は認めていましたが、そのお盛んな女性関係には納得できないものを感じてきました。妻の九條映子が気の毒に思われたのです。ところが、今回、『寺山修司のラブレター』(寺山修司・九條今日子<映子から改名>著、KADOKAWA)を読んで、認識を改める必要を感じました。
同い年生まれの女優・九條映子に恋をした24歳の寺山は、手紙魔になります。その第3信に、このような一節があります。「今夜はなぜだか、きみがそんなに遠くにいるという気がしない」。
恋人時代のラブレターの一節。「誇りや自尊心よりも大事なものが、たった一つだけあるのです。そして、それが二人の『愛情』であるということを忘れないで下さい。わかれる、という言葉を口にしたら四十万円の罰金ってきめたのをぼくは忘れていませんよ。また、手紙をかきます」。
寺山による映子讃歌の一首。「きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする」。
寺山の文章の一節。「映子とは書かない。A子と書く。そのほうが書きやすいし面倒くさくなくっていい。・・・A子のAは私にとって未知の一つだ。A子はたとえば青くさいキャベツみたいに生意気であり、子馬のようにやんちゃであり、そら豆のようにはじけてよく笑う。・・・私は、そんなA子を診断する。彼女は、マヨネーズとハムと哲学とブラームスがきらいである。そして赤ん坊とスポーツと青草とウイントン・ケリーがすきらしい。勝ち気で明朗でよく動く。私はふと、ペンではなく、彼女自身の動作でもって一遍(篇)の詩をかきたい、と思う事があるのである。恋の履歴書 それは去年の夏、突然に生まれた。現在一才。恋はおしゃべり。喧嘩の前科二回。私たちは立ったまま、歩いたままで、よく夢を見るのが好きらしい」。
「映子はまず若さをもっている。キング・コールのLPをもっている。健康な二人の妹をもっている。歌劇の踊り子の経歴をもっている。わがままをもっている。高村光太郎の詩集とレイモン・ペイネの画集をもっている。幸運をもっている。映子はまた夢をもっている。スラックスを少なくとも十本以上もっている。明朗快活をもっている。マラカスをもっている。恋人ももっている。きれいな沼のある故郷ももっている。アポロデシアの香水とロンソンのライターをもっている。ちっぽけな虚栄心もまたもっている。小さい家計簿をもっている。天婦羅をあげる技術ももっている。空想のなかに殺人計画のトリックをいっぱいもっている。乙女心もまたもっている。それから・・・ それから・・・」。
恋人時代を偲ぶ映子の言葉。「寺山がプレゼントしてくれる、人生の楽しみ方に夢中になっていた」。
離婚後の映子の言葉。「寺山も私も二人で作る家庭を守るより、劇団の中で生活し、行動していることによりどころを感じるようになって、それじゃ家庭なんかいらないね、と話し合って・・・それで別れたの。そんなわけだから、今でも彼のアパートにときどき出かけていくわよ。洗たくなんかもたまってたらやってあげちゃうし、部屋がちらばってれば掃除もしてくる」。「寺山は才能があるし、忙し過ぎる。これ以上、家庭のわずらわしさにかかずらわせたくないの、それで解放してあげたのね」。「寺山がこういう小道具をそろえてこういう舞台を創りたいというオーダーに女房だと家の経済が気になってしまう。離婚してからも一緒に劇団活動をしていたから人から不思議に思われたけれど、私はかえって寺山に優しくなれたんですよ。いい作品を創るための協力者としてね」。「女優って、一部でしょ。一つのパート。制作は全部よ。面白さが全然違う」。「私にとって寺山は、元恋人であり、 元旦那であり、師匠であり、劇団をやってきた同志であり・・・親友ですね。離婚した当初は、いろいろインタビューも受けたけど、私たちにとっては不自然なことじゃなかった。無理も、我慢もしていなかったし、自然にやってこれちゃったわけ」。
寺山と映子の摩訶不思議な男女の関係は、当の二人にしか分からないでしょう。映子自身がこう言っている以上、私が寺山を責めるのはお門違いですね。