廊下を飛ぶ巨大コウモリと陸封魚のイワナと・・・【MRのための読書論(32)】
生物の本
大自然は、一瞬も休むことなく生物界のドラマを演出し続けている。仕事に壁を感じたとき、人間関係に疲れを覚えたとき、「生物」の本、「自然」の本が私たちの心身をリフレッシュしてくれる。
大学の森の生物事件簿
『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!――[鳥取環境大学]の森の人間動物行動学』(小林朋道著、築地書館)は、生物好きには堪えられない本である。自然に囲まれた小さな大学の森や池で遭遇した生物たちと著者との間で、実にさまざまな事件が起こるのである。
「巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」「大学林で母アナグマに襲われた?話」「無人島に一人ぼっちで暮らす野生の雌ジカ」「ヒミズ(モグラより小型のモグラの仲間)を食べたヘビが、体に穴をあけて死んでいたのはなぜか」「化石に棲むアリ」「カキの種をまくタヌキの話」といった章のタイトルから分かるように、興味深い事件の連続である。
著者は、「野生動物の習性にじかに接することが好きだ。見ていてワクワクする。背中がぞくぞくするような感覚を覚える」と述べているが、同様に生物好きの私には、この感覚がよく分かる。長年に亘り書き留めてきた私の「自然観察記録」のノートには、野生のオコジョ、ヤマネ、アブラコウモリ、ライチョウ、キジ、ヤマドリ、コジュケイ、ホトトギス、カッコウ、カケス、カササギ、オナガ、シラコバト、アオゲラ、ウグイス、カワセミ、カクレクマノミ等々との出会いが記録されている。
渓流の王者の追跡記録
『イワナの謎を追う』(石城謙吉著、岩波新書。出版元品切れ)は、行間から幽谷の清流の水音が聞こえてくる。渓流の魚というと、ヤマメとイワナを思い浮かべることができる。特に、イワナには深山の淵に潜む神秘的な魚というイメージがある。そして、内陸の湖や沼に閉じ込められてしまった「陸封魚」という言葉にはロマンをかき立てられる(イワナには、一生を淡水域で暮らす「陸封型」と、幼魚期に海に降り親になってから淡水域に戻ってくる「降海型」がある)。
この本は、著者が北海道の山野の川にイワナを追いかけ、遂に「幻の魚」の実像を突き止めた行動と研究の記録である。身近な小さな疑問から出発して、謎が徐々に明らかになり、やがて大きな全体像が浮かび上がってくる過程が生き生きと描かれている。
日本には、体の側面に赤い斑点を持つイワナ(オショロコマ)と、白い斑点を持つイワナ(アメマス)の2種類のイワナがいるが、この2種類のイワナが互いに独立した別種だということが著者によって確かめられ、この近縁種同士が北海道の大自然を舞台に、互いに種の存続を懸けた戦いを繰り広げていることが、少しずつ解明されていく。
北海道では、西南部から始まってじりじりと東北部へと、古いタイプのイワナであるオショロコマが、より新しいイワナであるアメマスから追い立てられているという仮説を、何とか証明できないものか。西南部ではオショロコマがアメマスによって駆逐されてしまったとしても、何らかの障害物によってアメマスの進出が阻まれているような所には、オショロコマが生き残っているかもしれないと著者は考えた。障害物として考えられるのは、例えば滝である。オショロコマが棲み着いた後に、そしてアメマスが進出してくる前に形成された滝があれば、その滝の上にはオショロコマが残っているのではないか。
寝袋一つで野宿をしながら、定山渓の山奥の滝に辿り着くまでの途中途中で採集を重ね、ずっと下流の地点からこの滝の真下の淵まで、白い斑点のアメマスだけが棲息していることを確認していた。どうにか滝の上に這い上がった著者は、早速、滝のすぐ上の流れに釣り糸を下ろした。そして、間もなく釣り上げた一尾のイワナは、紛れもない、赤い斑点のオショロコマであった。この情景には胸を打たれる。滝という要害によってアメマスの侵入から守られて、こんな山奥の狭い流域に、オショロコマが生きながらえていたのである。さながら、平家の落ち武者のように。やはり、オショロコマは古い、後退しつつある種族だったのだ。
戻る | 「MRのための読書論」一覧 | トップページ