イギリス帝国を守ることに生涯を捧げたチャーチル・・・【情熱的読書人間のないしょ話(362)】
栗原寛の短歌、「うすあをき星をほつほつ灯しゆく花韮(はなにら)は空とよびかはしゐる」で幻想的に詠われているハナニラを、散策中、あちこちで見かけます。どれも同じように見えますが、よく見ると、花の先端が星のように尖っているもの、丸みを帯びているもの、色も薄紫色のもの、白いものなどさまざまであることが分かります。因みに、本日の歩数は10,981でした。
閑話休題、『チャーチル――イギリス帝国と歩んだ男』(木畑洋一著、山川出版社・世界史リブレット人)で、ウィンストン・チャーチルの意外な面を知ることができました。
「ウィンストン・チャーチル(1874~1965)は、(『帝国主義の時代』が幕を開けた)この年の秋に生を受けた。それから90年、1965年にチャーチルは逝去したが、それはちょうど『帝国主義の時代』に植民地化された地域が続々と独立をとげていく時代にあたった。チャーチルの生涯はまさに植民地支配の時代の盛衰と合致していたのである」。
何と、チャーチルは敵軍の捕虜となったが脱走に成功したことがあるというではありませんか。「この戦争に、チャーチルは『モーニング・ポスト』紙の従軍記者として参加した。しかし、南アフリカに着いた直後に、彼が乗っていた列車が敵軍の待ち伏せに遭い、捕虜になってしまった。・・・チャーチルは、捕虜収容所に収容されたが、脱走を試み、幸運に恵まれて、隣接するポルトガル領モザンビークへの脱出に成功した。この劇的な行動によって、彼の名は一躍世界に広がることになる。・・・帰国後、この戦争についても、『モーニング・ポスト』紙へ送った従軍軌にもとづいた2冊の本を著している」。
「(海軍相として失敗し、地位を退いた)失意のチャーチルであったが、彼はすぐに次の行動にでた。チャーチルを尊敬した鶴見祐輔は、『彼は失敗と失脚に際し、人前隠さず感情を現わすが、一晩眠ると、ガバとはね起きて獅子王のような勇気をもって突進する・・・彼の顕著なる性格の一つは、その逆境から跳ね起る力である。そして跳ね起きた時は、いつも失脚前より遥かに高いところに飛躍している』と述べたが、このときの彼も、そうした資質をよく示した。海軍相として戦争指揮のトップに立っていた人物が、イギリス陸軍に戻って西部戦線で従軍することを決めたのである」。チャーチルの面目躍如ですが、この姿勢は我々も見倣いたいですね。
「これ以降、チャーチルは、1923年12月の下院選挙でまた落選しただけでなく、翌年3月におこなわれた補欠選挙でも失敗し、しばらく議員の椅子を離れた生活を送ることになった。この時期に彼は、すでにとりかかっていた、第一次世界大戦の歴史である『世界の危機』の執筆を進めた」。チャーチルは雌伏を強いられる時期を何度も乗り越えてきたのです。
「イギリス帝国の既存の構造を変えていくことに、彼はかたくなに抵抗していたのである」。
「チャーチルにとって、もっとも強い警戒の対象となったのは、1933年にドイツで政権についたヒトラーの対外政策であった」。
「(65歳での)首相就任演説で、彼は『自分には血、労力、涙それに汗しか提供できるものはない』としつつ、帝国の運命を人類の運命になぞらえて、勝利なくして生存はないと論じた。この姿勢を彼は戦争をつうじて貫いていくことになる。しかしまず彼が直面したのは、イギリスそのものに対するナチ・ドイツの集中的攻撃であった」。
「1945年7月の総選挙は、ドイツ降伏後ではあったものの、アジア・太平洋における日本との戦いがまだ継続していた時期におこなわれた。(首相として)戦争遂行の先頭に立ってイギリスを勝利に導いてきたという自信をもっていたチャーチルは、この選挙で敗北することになるとは考えていなかった」。
本書は、イギリス帝国を護持しようと奮闘したチャーチル、帝国を解体させる脱植民地化の加速を押し止めようと努めたチャーチルを生き生きと描き出しています。ナチズムと戦った男、コミュニズムと戦った男とこれまで認識してきたチャーチルのもう一つの姿を知ることができました。