榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦後日本の保守の二大潮流――「豊かさ」路線と「自立」路線の原点・・・【情熱的読書人間のないしょ話(540)】

【amazon 『吉田茂と岸信介』 カスタマーレビュー 2016年9月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(540)

我が家の上空を、160cmぐらいの翼を広げたアオサギがグアーッと大声で鳴きながら飛んでいきました。我が家の庭に現れたニホンカナヘビをカメラに収めることができました。改めて、その尾の長さにびっくりしました。ツマグロヒョウモンの雌もやってきました。片隅では、余所(よそ)より遅れて漸くヒガンバナが咲き始めました。本数が少ないので、寂しさが一層募ります。

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閑話休題、『吉田茂と岸信介――自民党・保守二大潮流の系譜』(安井浩一郎・NHKスペシャル取材班著、岩波書店)は、現在の「保守」と呼ばれる政治状況を理解する手助けをしてくれます。

保守の二大潮流の原点はどこにあるのでしょうか。「吉田茂が掲げたのは、経済成長を最優先とする『豊かさ』路線とでも言うべき路線だった。憲法改正は具体的な政治課題には上げず、日本の防衛をアメリカに依存する『軽武装』によって、経済成長を最優先させた。この路線は吉田の総理大臣退任後も、その後継者たちによって引き継がれ、戦後日本の基軸路線となっていった。この路線を『保守本流』とする見方も多い。これに対して岸信介が掲げたのは、『自立』路線とでも言うべき路線だった。岸は、戦後日本の基盤となっている制度や仕組みが占領軍によって形作られたものだと批判し、『国家の自立』『独立の完成』『占領体制からの脱却』を主張した。そのための手段であり、かつ最大の目標として、岸が生涯にわたって執念を燃やしたのが憲法改正だった。・・・二人の掲げた理念を基軸として、戦後政治を貫く保守の二大潮流が生まれていった」。

吉田と岸のGHQ(連合国軍総司令部)、ならびに憲法に対する姿勢を見てみましょう。「吉田はマッカーサーに対して、ある意味で『面従腹背』しながら、経済復興という実利を得ることを狙っていた。それを実現するための手段が、吉田にとっては外交だった。吉田は『外交によって我国は苦境を切り開いて行きたい』とも述べている。外交官出身のリアリスト・吉田の面目躍如である。さらに吉田は憲法さえも、国民の利害に適うかどうかという視点で捉えている。GHQによる憲法の『押しつけ』などの批判も意に介さぬかのように、次のように述べている。・・・吉田が最も重視していたのは、憲法制定の経緯をめぐる『ナショナル・プライド』ではなく、国民の目に見える『利益』だった。・・・吉田にとって、『対米従属外交』すら、利害得失に基づいて現実を冷徹に見据え、積極的に選択したものだったのかもしれない。こうしたリアリズムに基づいて、吉田は憲法の理念を積極的に生かしつつ、経済復興の実を取る路線を選択する。その上でできるだけ早く、有利な条件で(日本の)独立を回復することを目指した。この宰相吉田のもと、戦後日本は経済復興に邁進していく」。

「(戦争犯罪人として収容された)巣鴨(プリズン)での岸の心情として、特筆すべきは、アメリカの占領政策と、岸からすればそれを唯々諾々と受け入れ追随する、吉田主導の被占領政策への反発だ。・・・岸にとってアメリカの占領政策は、日本を弱体化させること以外の何物でもないと捉えられていた。そして返す刀で岸は、それに追随する日本の被占領政策を批判する。・・・岸が巣鴨獄中で抱いた日本国憲法に対する違和感と、『日本を弱体化させるもの』だとの認識は、やがて岸が戦後政治に復帰し、憲法改正を掲げていくことの原点となっていく」。

日米安全保保障条約についても、吉田と岸の考え方は異なっています。「実利主義者・吉田からすれば、この条約について、アメリカの特権が占領終結後も維持される不平等なものだと認識しながらも、逆にアメリカの軍事力に依存することで、軽武装のまま経済復興に集中できると考えたのかもしれない」。これには、戦前、軍部に酷い目に遭わされた吉田が、戦前のような軍部復活・軍部支配に生理的な嫌悪感、拒否感を抱いていたという背景が存在したのです。

一方、「占領体制からの脱却を唱える岸にとって、吉田の結んだ日米安全保障条約は、『アメリカによる日本占領の継続』と認識されていた。・・・岸は、この安保条約の改定に『政権のエネルギーの7ないし8割を傾注した』と述べている。それは、吉田の経済優先主義から政治主義への転換を意味した」。「岸は安保改定の先に、国家の『自立』のために不可欠だと考える憲法改正を見据えていた。岸がめざす『国家の自立』、そのために必要な憲法改正へ至るステップ・手段として安保改定を行うという、壮大な構想が描かれていたのだ」。岸は、明治憲法下の戦前の体制に郷愁を覚え、その復活を目指していたのです。

吉田・岸退陣後の政界はどうなっていったのでしょうか。「吉田は自らの後継者として池田(勇人)を育ててきた。・・・総理大臣を務めていた吉田は、池田を一年生議員ながら大蔵大臣に抜擢する。以後池田は、佐藤栄作とともに『吉田学校の優等生』として、政界での地歩を固めていく。やがて吉田は総理大臣辞任後、政界の第一線からは退くが(議員には在籍)、派閥を池田・佐藤に分ける形で引き継がせた。これが、現在も続く有力派閥・宏池会(現岸田派。池田派の流れ)と平成研究会(現額賀派。佐藤派の流れ)の源流である」。

「投票の結果、岸の後継総理大臣には、吉田の愛弟子である池田が選ばれる。岸と吉田の駆け引きの末に誕生した池田後継総理。このことが岸の目指した憲法改正、そして『自立』路線を遠のかせていくことになる」。

「池田の後を受けて総理大臣となったのは、岸の実弟であり、『吉田学校の優等生』でもあった佐藤栄作だった。佐藤は、戦後最長の7年8カ月にわたって政権を担い、沖縄返還などを実現する。しかしその一方で、憲法改正には消極的だった。岸の実弟の佐藤ですら、憲法問題に正面から取り組もうとはしなかったのだ」。

本書を読み終わり、改めて、吉田が信念を持って選択した「豊かさ」路線に強い共感を覚えました。