榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の翻訳書を出版した小尾俊人・・・【情熱的読書人間のないしょ話(591)】

【amazon 『小尾俊人の戦後』 カスタマーレビュー 2016年11月17日】 情熱的読書人間のないしょ話(591)

あちこちでサザンカが鮮やかな桃色の花を咲かせています。清楚な白色のサザンカもあります。コスモスが未だ頑張っています。クロガネモチが赤い実をたくさん付けています。ナンテンの赤い実は光沢があります。因みに、本日の歩数は10,817でした。

img_4856

img_4812

img_4811

img_4814

img_4809

img_4780

img_4784

閑話休題、25年前に初めて読んだ『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』(ヴィクトール・E・フランクル著、霜山徳爾訳、みすず書房)は、私にとって一番重要な著作となりました。死と隣り合わせの極限状態に置かれたとき、生き抜くにはどうしたらよいかを、本書から教えられたからです。同時に、こういう書籍を翻訳・出版するみすず書房という出版社名が心に残りました。

そのみすず書房を、敗戦後、復員してきて、23歳という若さで立ち上げた小尾俊人のことが、『小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃』(宮田昇著、みすず書房)に詳しく記されています。東京は焼け野原で、社会が混乱している中、人脈ゼロでのスタートでした。

「事務所をかまえたその3月に小尾俊人は、塩名田の片山敏彦の疎開先を訪れて、その後のみすず書房のイメージと、初期の屋台骨を支える出版物となった『ロマン・ロラン全集』の発刊を決めた」。

「『夜と霧』が刊行されたのは、昭和31(1956)年8月15日である。・・・霜山徳爾が持ち込んだヴィクトール・フランクルの著作の原名は、『一心理学者の強制収容所体験』である。小尾俊人が、その書名を『夜と霧』に変えた。『夜と霧』は、元来は、第二次大戦ドイツ占領下のフランスでのレジスタンスに手を焼いたヒットラーが、容疑者を夜間秘密裏にとらえて強制収容所に送りその安否を秘密とした作戦のことであった。・・・本づくりにおいても、原書にない親衛隊総司令ヒムラーのユダヤ人絶滅命令書から始まって、死屍累々の強制収容所の内部写真を含め写真と図版45点を入れた。・・・内容は、アウシュヴィッツの記載は少なく、ユダヤ人絶滅のドキュメントではない。『ギリギリの状況における人間の思想の力を示し、読者に限りない感動と深い叡智の力を鼓舞してやまない』心理学者の著作である」。

「『一心理学者の強制収容所体験』を霜山が小尾に持ち込んだときは、世界では前年アルゼンチン一国で翻訳されていたにすぎなかった。アメリカその他で翻訳出版されるのは、日本よりはるかにあとであり、アメリカでもタイトルは変えられている」。『夜と霧』は、霜山と小尾の情熱が生み出したのです。

『夜と霧』には、本文の前に67ページに及ぶ長い「解説」が添えられています。小尾には、『夜と霧』が、心理学者のナチス強制収容所体験から得られた人間の極限状況の報告に止まらず、現代史に残すべき貴重な資料であることを明確にする狙いがあったのです。

「小尾俊人は、人文科学、社会科学の卓出した編集者と思われているし、事実、アイザィア・バーリン、ハンナ・アーレント、クロード・レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、モーリス・メルロ・ポンティの主要な著作の紹介者である。・・・(さらに)ジャーナリスティックな先見性があった。また、現代史のうえで刊行されるべき著作にも目配りを怠らなかった」。

その後、他の訳者の手になる『夜と霧』もみすず書房から刊行されていますが、私には、霜山訳以外の『夜と霧』は考えられません。