私の知らなかった赤ずきんに出会える本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(827)】
女房は足が少し痛むとのことで、今日の散策には自転車を伴っています。大輪の赤い花と白い花に目を惹かれました。アメリカフヨウとモミジアオイの交配品種のタイタンビカスです。女房の手と比べると、その花の大きさが分かります。ハイビスカスも赤い花を咲かせています。キダチチョウセンアサガオ(エンジェルズトランペット)の花は、ほんのりと桃色を帯びています。モクゲンジが袋状の緑色の実を付けています。落ちている実を開いてみました。この種子が数珠の素材になるそうです。因みに、本日の歩数は12,724でした。
閑話休題、論考集『「赤ずきん」の秘密――民俗学的アプローチ』(アラン・ダンダス著、池上嘉彦・山崎和恕・三宮郁子訳、紀伊國屋書店。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)のおかげで、私の知らなかった赤ずきんに出会えました。
1697年に発表されたシャルル・ペローの『赤ずきんちゃん』の物語は、このように結ばれています。祖母を食べしまい、祖母に化けている狼に向かって、「『おばあちゃま、なんて大きな歯をしているの!』。『その方がおまえを食べるのに都合がいいからさ!』。こう言うと悪い狼は赤ずきんに跳びかかり、赤ずきんをひと呑みにしてしまいました」。
そして、この後に、ご丁寧にも、「教訓」が添えられています。「この話が教えてくれるのは、子ども、とりわけ若い女の子たち、きれいで、お行儀が良く育ちの良い娘たちが、見知らぬ人の言うことに耳を貸すのは大間違いだということ。そして、そんな狼の餌食になってしまったというようなことも、よく耳にする話だということだ。一口に狼といっても、狼はみな一通りではない。愛想のよい性格で物静かでとげとげしくない、怒りをあらわにしたりもせず、おとなしくて親切な物腰、穏やかで、通りで若いお嬢様方の後を付け、ついには家の中にまで入り込むような狼がいる。ああ、なんということ、こんな優しげな狼が中でも一番危ないのだということを知らない人がいるとは!」。
1812年に発表されたグリム兄弟――ヤーコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム――の『小さな赤帽子(=赤ずきん)』は、ペローの『赤ずきんちゃん』とは、かなり異なっています。「『まあ、おばあちゃんたら、ずいぶん大きなお口をしているのね!』。『その方がおまえを食べるには都合がいいからさ!』。こう言うが早いか狼はベッドから跳び出し、かわいそうに赤帽子をひと呑みに呑み込んでしまいました。狼は望みが叶って満足すると、まだベッドに横たわり、大いびきをかきながら眠り込んでしまいました。・・・(狼を探していた猟師が)はさみを取って眠っている狼のおなかを切り開き始めました。二、三ヶ所はさみを入れると小さな鮮やかな赤い帽子が見え、さらにもって切ってみると女の子が跳び出してきて叫びました。『ああ、怖かったこと! 狼のおなかの中は真っ暗だったんだもの』。すぐにおばあさんも出てきました。・・・赤帽子が急いで大きな石をいくつか集めてくると、みんなでそれを狼のおなかの中に詰め込みました。狼は目をさますと逃げだそうとしましたが、石が重くてすぐに倒れてしまい、死んでしまいました。三人は大喜びしました。猟師は狼の皮を剥いで家に持って帰りました。・・・赤帽子の方は、お母さんがしちゃいけないと言ったのに道を外れて森の奥深くに迷い込んだりしては今後は絶対にだめよ、と自分に言い聞かせました」。
猟師によって赤ずきんと祖母が救い出され、彼らが狼に復讐する場面まで描かれています。さらに、後日、赤ずきんが別の狼に話しかけられた話まで付け加えられているではありませんか。
精神分析学者のブルーノ・ベッテルハイムは、赤ずきんに関して、こんなことを記しています。「『赤ずきん』の話は、エディプス(=男の子は母親を、女の子は父親を慕う傾向)的な固着が無意識の中にいつまでも残っていると、少女が誘惑に負けて危険に身をさらすはめになりかねないので、学齢期の女の子が解決しておかなければならないきわめて重大な問題を扱う話である。・・・話の中の狼は、男性の誘惑者の象徴であるだけでなく、われわれの心のなかに存在する反社会的で動物的な性向のすべてをも象徴する。学齢期に達した子どもなら躾けられた通りに『わき目もふらずひたむきに』歩くが、赤ずきんはそのようなお利口さんぶりはやめて、快楽原則に従うエディプス期の子供にもどっている。・・・『赤ずきん』の話は、思春期の子供の内的な成長過程を外在化したものである。つまり、狼は、子供が親からの警告に反する行動に出たために感じる、あるいは性的に誘惑したいとかされたいとかいう気持ちに身をゆだねる時に感じる罪悪を外在化したものだ。赤ずきんは、親の教えてくれた道からそれる時に、『罪悪という狼』に出会うわけだが、その狼に自分と信頼を裏切った親がともに飲みこまれるのではないかと恐れる。しかし、その物語の筋書きからもわかるように、『罪悪という狼』からの再生も可能だ」。学者だからといって、民話をここまで深読みする必要があるのでしょうか。私にとっては、グリムの『小さな赤帽子』それ自体が十分過ぎるほど刺激的です。