杉浦日向子は、香気を放つ文体を身上とする書評家でもあった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(802)】
昆虫観察会に参加しました。高校で生物を教えている川北裕之先生の指導の下、いろいろな昆虫やその他の「虫」たちを観察することができました。ヤマトタマムシが2匹、見つかりました。私にとっては数十年ぶりの再会です。ヤマトタマムシの美しい金属性の光沢は、色素ではなく構造色によるものです。ファーブルの『昆虫記』にも登場する、森の掃除屋、オオヒラタシデムシの成虫と幼虫を見ることができました。アワフキムシの幼虫は、排泄物を泡立てて巣を作ります。ムラサキシジミの雌の表翅は美しい青色ですが、裏翅は地味そのものです。ザトウムシをカメラに収めるのに苦労しました。ヤスデもいます。オオミスジコウガイビルの頭部は扇形になっています。因みに、本日の歩数は13,294でした。
閑話休題、杉浦日向子の本はいくつか読んだことがあるが、彼女が優れた書評家でもあったとは知りませんでした。『江戸の旅人 書国漫遊』(杉浦日向子著、河出書房新社)には、彼女特有の視点に基づく本質把握力が漲っています。
例えば、「20代にしてこの香気を放つ文体 『偉人暦(上・下)』森銑三著(中公文庫)」は、こんなふうです。
「あまたある森銑三の著作の中で、本書はさほど重きをなさない。時に、著者28歳。小学校教員から、図書館職員へ転じ、棲むべき水脈を察し得た若鮎の覇気に充ちている。・・・たとえば、毛利元就を『腹黒の策士』とバッサリ。徳川家康『国史の中でも最も不人気な人物』。高杉晋作『考えただけでも胸の中がすっきりする』。良寛『なつかしい人だ』。伊藤仁斎『一日でも二日でもじっとその傍に座っていたかった』。史上の人物をも、生きて血の通っている人物として扱うからこそ、感性で向き合っている。これらの直感の断言はすがすがしい。・・・敬するもの、親しむもの、愛するもの、悼むもの。礼讃よりは、共感と思慕と情愛と。引き絞る弓弦の矢先がおのずと的をたくりよせるように、一閃のエピソードが遥かな時空から筆先へと死者を蘇らせる。ただ、郷里(愛知県)の偉人と、大酒呑みと、美女には、あからさまに肩入れをするきらいがある。静御前を『私の最も愛簿する女性』として美徳の限りを褒めたたえ『静御前は永遠に日本女性史上の花であらねばならぬ』としめる。そうしたためる、七十数年前のその書斎に背後から忍びいって、板コンニャクで、若先生の頬べたを撫であげたい衝動にかられた」。静御前に対する評価が森と私で完全に一致していることを知り。嬉しくなってしまいました。
杉浦は「20代にしてこの香気を放つ文体は、どうだろう」と称賛しているが、杉浦の文体も、森に負けずに香気を放っています。
『偉人箱』を、直ちに私の「読むべき本リスト」に書き加えたことは言うまでもありません。
「すぐ喜び、すぐ悲しみ、すぐ怒った彼の18世紀 『リンネ 医師・自然研究者・体系家』ハインツ・ゲールケ著、梶田昭訳(博品社)」は、こう評されています。
「友への書簡にも、自画自賛気味に身の多忙を書き送っている。『私は昼夜ぶっ通しで、博物標本の記載に当たっています。それが目の中で燃え上がって、目をつぶることができないくらいです』。リンネの狂おしい情熱は、(三界<動物界、植物界、鉱物界>の成員に名前を与えることを創造者から委託されたという)『使命』の自覚から始まった」。
「(著者ゲールケは)ひとりの愛すべき男としてのかれを、偏見のない公平な視点から、浮かび上がらせる」。
動植物の名を知ろうとするとき、必ずといっていいほど顔を出すリンネに興味があったので、『リンネ 医師・自然研究者・体系家』も私のリストに加えました。
「比類のない重さが得難い快感をもたらす 『飯田蛇笏』石原八束著(角川書店)」と「不思議な物語に永遠の生命力を見る 『<赤ずきん>の秘密』アラン・ダンダス編、池上嘉彦・山崎和恕・三宮郁子訳(紀伊國屋書店)」も、リストに加わりました。
本書のおかげで、未知の本に出会うことができました。