人生の後半戦をどう迎えるか、そして、死の恐怖にどう向き合うか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(613)】
私は死を迎えるまでに、大好きな長篇小説『失われた時を求めて』の全巻を再読したいと願っています。この作品に自らの人生を注ぎ込んだマルセル・プルーストの臨終時に、彼と親しかった画家、ポール・エルーがその枕元で彫った銅版画「臨終のマルセル・プルースト」には、プルーストへの思いが込められています。朝焼け、そして、夕刻に雲間から顔を出した満月間近の月をカメラに収めました。
閑話休題、『年を取るのが楽しくなる教養力』(齋藤孝著、朝日新書)は、リタイア後の時間は楽しいことだけで埋め尽くそうと呼びかけています。
著者は、30歳以降の人生を4期――第1期=狩猟期(30~45歳)、第2期=ダブルスタンダード期(45~60歳)、第3期=円熟期(60~75歳)、第4期=ゼロ出力期(75歳以上)――に区切っています。
上記の人生区分の考えを踏まえて、「エネルギー」と「価値観」という2つの視点から生き方のバランスを考えることを勧めています。「人生の後半戦を迎える心構えとして、まずはエネルギーのコストパフォーマンスを考えて、結果に直結する動きを心がける。エネルギーが減少するなか、いかに限られた資源でコストパフォーマンスをよくしていくかを考えることが必要だと思います」。「『この時期に、自分は何に重きを置きたいだろうか』と自問自答してみることです。そのうえで、それまでとは違う価値観にスライドしていくことが大切だと思います」。
年を重ねてからの「学び」については、このように述べられています。「楽しむことを中心に置くと、学びはどんどん深まっていきます。『余生なんだから』と思えば、もはや人と競う必要はありません。楽しみながらマイペースに学んでいく。年を取ってむしろ、いまこそ学びの季節がやってきたと喜ぶべきときなのです」。
「高齢者になって幸福感が増すと思える要因の一つに、自分の人生の限りがわかることによって、自分にとって不必要なもの、マイナスなものは思い切って切り捨てることができる。そういう強さを身につけられることが挙げられます。・・・ある意味、わがままといえばわがままかもしれません。簡単に言ってしまえば、イヤなことはやらなくなるということです。結果、自分にとっていいことだけが残っていくことになります。自分のやりたくないこと、イヤな人間関係などを取り除き、自分が本当に望んでいるものや人に囲まれて生きる。そんな環境をつくることができれば、幸福度は思った以上に高くなるのです」。
私にとって一番心に響いたのは、「死」について書かれた箇所です。「老いへの不安の先にあるもの。それは死の恐怖です。仮に老いへの不安を鎮めることができたとして、ふっと忍び寄る死の恐怖に抗うことは非常に難しいものです」。「ハイデガーは『存在と時間』のなかで、私たちは時間的存在であると語りました。なぜなら、私たちの生には死という終わりがあり、無限の生を生きることができないからです。しかし、人々は死をないものとして忘れたようにふるまい、おしゃべりをしながら誤魔化して生きようとします。それをハイデガーは『非本来的な生き方』と呼びました。逆に『本来的な生き方』とは、人生の有限性に気づき、死を意識しながら生きることだと説いたのです。・・・死の恐怖を忘れ去ろうとするのではなく、逆に直視して生きるパワーに変換していく。それもまた死への一つの向き合い方を提示したものだといえるでしょう」。
新書ですが、奥行きのある一冊です。