榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

絶海の孤島・鳥島に流れ着いた漂着民が暮らした洞窟を、遂に突き止めた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(619)】

【amazon 『漂流の島』 カスタマーレビュー 2016年12月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(619)

露木孔彰の「北斎仮宅之図」には、布団を被って画業に励む葛飾北斎と、その様子を見守る娘・葛飾応為が描かれています。

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閑話休題、『漂流の島――江戸時代の鳥島漂流民たちを追う』(髙橋大輔著、草思社)には、漂流者たちが流れ着いた鳥島で住居とした洞窟を突き止めたいという執念が籠もっています。

鳥島は江戸から南へ600kmの絶海の孤島で、アホウドリの棲息地として知られています。「たった一人で生き延びたことから日本のロビンソン(・クルーソー)と称される土佐の長平(ちょうへい)や、米国に渡ったジョン万次郎らが漂着した島だ」。「漂流者は運命に弄ばれるように大自然に放り出される。彼らは命知らずの冒険家ではない。どこにでもいる一般の人たちであり力を合わせ奇跡の生還を成し遂げる。多くの人に勇気と感動を与えるのは、普通の人の大冒険だからだろう」。

長平が鳥島に漂着したのはジョン万次郎の漂着の56年前のことであり、遠州の甚八らが漂着したのは長平の65年前のことでした。さらに時代を遡ると、甚八らよりも23年前に日向の少左衛門らが漂着しています。鳥島で生活せざるを得なかった期間は、少左衛門らは2カ月半、甚八らは19年3カ月、長平12年4カ月、万次郎らは5カ月でした。「洞窟の中に残されていた人間の生活の痕跡が鳥島の漂流民に物質的にも精神的にも生きる糧となったはずだ。生還を果たした者が残した生活道具や伝言。そこに込められたのは未来の絶望者たちに差しのべられた深い思いやりだった。洞窟の中には人間の温かい心が宿っていた。次々と流されてくる遭難者たちをやさしく包み込み、希望を与え、命をつないできた鳥島の洞窟」。

著者の洞窟探しは粘り強く続けられます。「鳥島の北西部で見つけた2つの洞窟は長平の洞窟だったに違いない。わたしは再び鳥島に行きたいという衝動に駆られた。あとは現場から証拠となる遺物を発見できるかどうかにかかっている。しかし考古調査に許可が下りないという状況に変わりはない」。

「これまでの(少ない文献と現地での限られた見聞に基づく)追跡により、わたしは防空壕と考えられてきた(玉置里に残る)2つの洞窟が長平の洞窟だったという確信を手にした」。

著者がこれほど熱心に長平の洞窟を探すことに執念を燃やすのは、なぜでしょうか。「極限状態に追いつめられても人間らしく生き抜くことを忘れなかった彼らの凛とした姿。絶望のどん底に突き落とされてもなお、純粋で博愛の精神に満ちた生き方を示した漂流民たちに、わたしは同じ日本人として清々しくも、誇らしい気分を味わった」。